単身赴任先で小料理屋の女将とデキてしまった48歳夫の苦悩 不意打ちの「ただいま」で妻子の表情が忘れられない

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 独立行政法人労働政策研究所の「ユースフル労働統計 2022」によると、1987年に1.4%だった男性の単身赴任割合は2017年に3.0%になっている。増加傾向にあるようだ。グローバル化が進んだ現代では、昔は珍しかった海外への単身赴任なども増えていることだろう。

 単身赴任は、本人、そして自宅に残る家族にどんな影響を及ぼすのだろうか。それが望んだ異動か否か、家族とのもともとの関係性もあって百人百様だろうが、今回ご紹介する男性は、迷いつつもキャリアアップのために円満な家庭をひとり離れることを決断。ところが家庭は崩壊してしまった……。

 男性はどこで間違ったのか、それとも妻に非があるのか。男女問題を30年近く取材し『不倫の恋で苦しむ男たち』などの著作があるライターの亀山早苗氏が取材した。

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 単身赴任先で自分が浮気をしたとか、家庭に残してきた妻が恋をしていたとか、そんな話をときどき聞く。夫婦は距離が離れると、お互いに「相手への感謝」がわくこともあるが、一方で「去る者日々に疎し」があてはまってしまうこともある。

 石倉和紀さん(48歳・仮名=以下同)は今、妻と娘の言動に日々、困惑している。楽しかった家庭はどこへいったのか。あの日々はもう帰ってこないのだろうか、と苦しんでもいる。

 和紀さんが結婚したのは27歳のとき。相手は同い年の希久子さんだ。友人が開いた食事会で知り合い、和紀さんが一目惚れしてアプローチ。最初は断られたが、3ヶ月後、希久子さんは「つきあっていた人と別れた。あなたに本気になっていい?」と言った。

「その言葉にクラクラしました。そのくらい好きだった。つきあいだして半年ほどで彼女が妊娠、すぐに婚姻届を出しました。これで彼女は僕のものだ、そんなふうに思っていましたね。若かったなあと思います」

 和紀さんはフフッと含み笑いをした。自分をあざ笑っているかのようだ。彫りの深い顔立ちは明るい表情ならイケメンそのものだが、今は翳りの多い顔に見える。

 28歳で長女、31歳で長男が生まれ、それを機に希久子さんが会社を辞めた。 もともと一目惚れの和紀さんは、よき家庭人になろうと努めた。 早朝出勤をして仕事をこなし、残業は極力避けて一目散に帰宅した。

「家事も育児もふたりで必死にやった。あの頃がいちばん忙しかったけど、いちばん楽しかったですね。妻とも、ようやく本当の夫婦になれたねとよく話していました」

 24時間休みのない育児に、希久子さんがパニックになりかけたこともある。和紀さんは彼女を抱きしめ、「大丈夫。きみはゆっくり休んで。僕が全部やっておくから」と慰めた。彼女は涙を拭きながら、「あなたと結婚してよかった」と微笑んだ。その顔を見ると、和紀さんは体の奥から「やる気」がわいてきたという。

「意外と仕事も捗っていました。上司との飲みニケーションはなかなかできなかったけど、月に1,2回はつきあって濃い話もしました。この機会しかないと思うと、この先の仕事の展望とか自分の希望なんかをぶっちゃけてしてしまおうという気になるんです」

 長男が小学校に上がったころ、上司から地方の営業所勤務を打診された。38歳で営業所長という立場だ。30代での所長は例がなかった。

「帰宅して妻に話したら、『すごいじゃない』と喜んでくれました。でも妻がひとりで家事育児をやっていくのは大変だから、僕はものすごく迷ったんですよ。すると妻は『そろそろあなたも、思い切り仕事をしたいでしょ』と。見抜かれていました。『人生は一度きりだから、やるべきときにやるべきことをやらないと後悔すると思う』とも言ってくれた。それはきみだって同じだろと言ったら、『私はね、子どもたちが中学生になったら、大学院に行きたいと思ってる』って。大学時代から、本当は女性のキャリアについて研究したかったそうなんです。でも一度、社会に出てから研究しても遅くないと考えた。期せずして結婚して母親になっちゃったけど、人生は長いから、まだまだやれると思う。そのときには協力してよねとチャーミングに笑うんです。いい女でしょ? 最近、あのころの希久子がやたらと思い出されるんですよ」

 希久子さんの協力のもと、彼は単身赴任を決意した。東京近郊の自宅から赴任先までは飛行機で行き来する距離だった。3年の約束で出かけ、最初は月に2回は帰宅していたが、2年目に入ると月に1度になった。帰りたくなかったわけではないが、営業成績が上がって仕事が増えたのだ。

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