単身赴任先で小料理屋の女将とデキてしまった48歳夫の苦悩 不意打ちの「ただいま」で妻子の表情が忘れられない

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不意打ちの「ただいま」で見た光景

 家にもパソコンを導入し、妻や子どもたちとは毎日のように顔を見ながら話をした。それでも寂しさは募った。

「週末もほとんど営業所に行っていましたが、土曜の夜なんかは無性につらい。これでいいのかなあ、家族は大丈夫なのかなあと考えていました。でも本当は自分が寂しかったんですよね。家族に甘えてはいけないと思って、いつも妻にも子どもたちにも大丈夫だと強がっていましたが……」

 あるとき仕事帰りに、たまには違うルートを通ろうと道を変えると、ふらふらと野良猫が歩いている。ヒュイと口笛を吹くと近づいてきて、和紀さんの手に自分の顔をすりつけた。

「おまえも寂しいのかとつぶやくと、ガラッと目の前の戸が開いて、女性が容器を持って現れたんです。ふっと見たら小料理屋。彼女は夜遅くなると、猫に餌をやっていたようです。『あら』と彼女は言って、猫の前に容器を置き、『内緒にしてくださいね』とニコッと笑った」

 一杯飲めますかと尋ねると「どうぞ」という声。和紀さんがその店の女将である由美さんと知り合ったきっかけだ。それ以来、彼はときどき店に寄るようになった。由美さんが作る家庭料理が口に合い、軽く飲んで食事をして帰ることが増えた。

「何の下心もなかった。もっと早くこの店を知っていればよかったとは思いましたが。由美さんとは世間話をして笑い合うだけでしたが、そういう場所を得たのは大きかった」

 単身赴任2年目の終わり頃、和紀さんは久しぶりに自宅に戻った。仕事も一段落したので1週間ほどいる予定だったが、なぜかそのとき、彼は帰宅することを妻に言わなかった。

「土曜日の夜7時頃でしたか、家に着いたのは。うちはマンションなんですが、玄関の鍵を開けると中から笑い声が聞こえてきた。リビングに入って、真っ先に目に飛び込んできたのは、僕の弟の姿でした」

 弟が、希久子さん、ふたりの子どもたちと食卓を囲んでいたのだ。まるで本当の家族のように。一瞬、和紀さんは何も言えず、立ち尽くしていた。

「お父さん、と叫んだのは子どもたち。まだふたりとも小学生だったと思います。弟は僕を見ながら、ビールを一気に飲んで『久しぶりだね、兄貴』と平静を装ったような気がします。妻は表情が止まっているように見えました。そのときそう思ったわけではないかもしれない。あとから理由づけをした可能性もありますね。ただ、何かがおかしい。そう思ったのは確かです」

 そのときは和紀さんも大人として妻を気遣い、弟にはごく普通に話しかけた。会話の中で、弟がときどき来ていることも知った。

「そもそも、僕は弟と仲がいいわけではなかった。うちは僕が中学のときに父が亡くなり、母は2年後に再婚したんです。母の再婚相手が連れてきた男の子が彼。5歳ほど下だったから、僕はかわいがったつもりですが、彼は懐かなかった。母の再婚相手はいい人だったけど、彼が母に懐かないから、僕も父には親しい態度はとらなかった。再婚同士としては失敗だったんじゃないでしょうか。僕が大学入学するために上京してから、母は離婚。その後、弟は行方がわからない時期もあったみたいです」

 ただ、彼が結婚したころには社会人としてまじめに生活していたようだ。年に数回、連絡をとりあう程度の関係だが、結婚してから、一度だけ自宅に遊びに来たことはあった。

妻とふたりきりになるのが怖くて

 その晩、和紀さんは妻に、ときどき弟が来るのかと尋ねてみた。

「そうね、月に1回くらいかな。彼、独身で寂しいからって、半年ほど前に訪ねてきたの。ご飯を一緒に食べて行けばと言ったら喜んでね。オレは兄貴に嫌われてるって嘆いていたわよ」

 妻はそう言った。どうしてそのことを話してくれなかったのかと言うと、「弟くんが話さないでほしいと言ったから」と妻は答えた。複雑な兄弟の関係に立ち入ってはいけないような気がしたのだそう。

「さっき、まるで本当の家族みたいに見えたよ、弟ときみたちが。そう言ったら、希久子は何言ってるのよと流しました。でもその流し方が自然すぎて不自然だった。弟と希久子の間に何かあるのではないかと疑いました。僕は男女の機微に鋭いわけではないけど、希久子のことは変わらず愛していましたから。彼女の心の動きはなんとなくわかるんです 」

 単身赴任で離れていても、和紀さんの気持ちは変わっていなかった。子育て優先になるのはしかたがない時期だが、和紀さんの心は常に希久子さんにあった。夜中に声が聞きたくて電話したくなることもあった。だが妻の迷惑にならないようにと我慢していたのだ。

「弟に来るなとも言えないし、妻に弟を家に入れるなとも言えない。妻だって本当は『帰るなら連絡くらいしてよ』と言うべきなのに、言えない何かがあるのかもしれない。いろいろ考えたらなんだか気まずくなって、本当はもっと自宅にいる予定だったのに、翌日の日曜の夜に赴任先に帰りました。月曜に妻とふたりきりになるのが怖かった」

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