藤原竜也が「一番尊敬する役者」と話した“大衆演劇のドン”が語る 氷川きよし「成功の原点」と北島三郎「“引退”の真相」、勝村政信の知られざる「役者魂」

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 永六輔が「まるで舞台から生えて来たように立っている」と表現し、柴田錬三郎が「苦労を心でして、顔はいつも笑っている男」と評したのが“大衆演劇のドン”と呼ばれる沢竜二氏(87)だ。「舞台役者の生き字引」の異名も取る沢氏の交友は多岐にわたり、親交を深めた芸能人の顔ぶれは豪華絢爛。そんな沢氏が知る、スターたちの“素顔”を初めて公開する。

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「最近の氷川きよしを見ていると、“本当にやりたいことをやっているな”と感じます。でも現在の成功があるのは、若い時に“土台”をしっかりと築いたからこそ。氷川との出会いは約20年前、音楽プロデューサーで長良プロダクションの代表だった長良じゅんさんから“沢ちゃん、氷川きよしって知ってる?”と電話を受けたことでした」

 こう話すのは沢竜二氏本人である。沢氏は1988年から全国に約170劇団ある大衆演劇の主だった座長を集め、「全国座長大会」を毎年開催。同大会は昨年12月にも浅草公会堂で催され、沢氏みずから舞台に立った。

 一方の氷川は昨年大晦日の紅白歌合戦をもって歌手活動の休養に入り、2月2日には初のベストアルバムが発売されるなど、その動向に注目が集まっている。

「当時は氷川の名前を知りませんでしたが、彼が歌っていた『箱根八里の半次郎』って曲は売れていたから知っていた。歌を聴いた時、何か光るものを感じ、じゅんさんに“1週間、俺に預けてくれ。次の座長大会で歌と芝居の両方で出してみる”と返事をした。演技経験ゼロの氷川でしたが、筋は非常に良く、5日間みっちりと芝居を仕込みました。蓋を開けてみれば、2日で6000人超の観客を動員し、公演は大成功を収めた」(沢氏)

 沢氏が「開演の2時間前に来てればいい」と言ったにもかかわらず、氷川はひとり3時間前に入って、沢氏を見つけると「よろしくお願いします」と膝をついて頭を下げたという。

「真面目で礼節を重んじる姿を目にして、じゅんさんや周囲が一生懸命サポートするのも頷けました。その後、スター街道を駆け上がって行ったのは周知の通りです」(沢氏)

引退のきっかけは“3.11”

 沢氏が「オヤジ」と呼ぶのが、演歌歌手の北島三郎だ。近年は表舞台で目にする機会が減り、その理由について様々な憶測も流れるが、コトの“真相”と経緯を沢氏がこう話す。

「オヤジとは梅田コマ劇場での『残侠の詩』を皮切りに舞台共演が長く続き、強い絆で結ばれる仲へと発展しました。なかでも忘れられないのが2011年3月11日、東日本大震災の日のことです。俺とオヤジは日生劇場での公演に出演中で、ちょうどオヤジのショータイムの最中に激しい揺れが襲ってきた。周囲が慌てふためくなか、オヤジはそれでも“ヘルメットを被って歌い抜く”と舞台に出ようとしたため、俺が“(舞台の上には)吊りものがあるんだ。今度、揺れたらどうなるか分からない!”と言って必死に引き止めました」

 その数日後のことだ。北島が「これを機に、辞めようと思う」と、沢氏にそっと打ち明けたという。

「実際、オヤジはその後、徐々に仕事を整理し始め、翌々年を最後に紅白歌合戦を辞退。その後に芝居からも手を引きました。もちろん年齢やケガなど、他にも要因はあると思いますが、身を退くキッカケとなったのは間違いなく東日本大震災にあった。あの災禍を目の当たりにして、よほどのショックと心中に思うところがあったのだと思います」(沢氏)

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