藤原竜也が「一番尊敬する役者」と話した“大衆演劇のドン”が語る 氷川きよし「成功の原点」と北島三郎「“引退”の真相」、勝村政信の知られざる「役者魂」

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蜷川幸雄「伝説」の真相

 また14年、北島の弟の大野拓克が肝臓がんで亡くなった際のことだ。通夜に参列した沢氏が焼香を済ませ、喪主を務める北島に声を掛けると、「拓克が死んだよう……」と沢氏に抱きついて号泣したという。

「ある時、都内・八王子にあるオヤジの大邸宅にお邪魔したことがありました。自宅2階から二人並んで綺麗にライトアップされた私設ゴルフ場を見ていると、オヤジが“家族は見飽きたのか、もう誰も2階には上がって来ない。でも俺はこの眺めを見るたび、ここまで頑張ってきたんだとの想いが込み上げてくる”と洩らした。冗談めかして言っていましたが、オヤジの心の核心に触れたように感じました」(沢氏)

 沢氏が「蜷川組」と呼ぶ、俳優の西岡徳馬に唐沢寿明、勝村政信、藤原竜也らとの交友も「自身の大きな財産」になっているという。

「彼らとの縁はすべて、演出家だった蜷川幸雄氏との交流から生まれたものです。私と蜷川氏との出会いは94年、蜷川氏演出の舞台『ゴドーを待ちながら』へ出演したことでした。蜷川氏といえば、稽古中に“灰皿を飛ばす”など激しい演出法で知られましたが、実際、灰皿や時に机まで飛ばしてた(笑)。でも飛ばしたモノが誰かに当たったところは見たことがない。素顔は物事をわきまえた、温かくてチャーミングな人でした」(沢氏)

 以降も蜷川の舞台に出演するなどして関係は深まるが、蜷川は新しい作品の顔合わせの際にはいつも「同い年の沢さんです。俺のほうが髪の毛は少ないけど、同級生(笑)」と茶目っ気たっぷりに他の演者らに紹介して回ったという。

唐沢寿明から掛けられた意外な言葉

「もう随分前ですが、ある年の暮れのこと。唐沢寿明が幹事となって勝村や竜也ら蜷川組のメンバーで忘年会をやるので“参加してほしい”と唐沢本人から電話があった。後日、届いた案内葉書には〈沢竜二を囲んでの忘年会〉とありました」(沢氏)

 当日、会場に着くと、唐沢や勝村、藤原ら以外にも若い役者が20人ほど集まっていて、その夜は皆で大いに飲み明かしたという。

「会計時のことでした。自分を囲む会で、おまけに俺が一番の年長者でもあるから“俺が出す”と言うと、唐沢が“ここは僕が全部出します”といって譲らない。理由を訊ねると、唐沢が真面目な顔で“僕らみんな、沢さんの『芸』が好きだから。沢さんの『芸』に憧れているから、あやかりたいと思って、この会を企画したんです”と言った。この言葉は本当に嬉しくて、心に刺さりました」(沢氏)

 かつて藤原竜也がテレビのトーク番組で「一番尊敬する役者は沢竜二さん。俺は沢竜二の生涯のライバルになる」と発言したことがあるが、この言葉にも沢氏は胸を打たれたという。

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