今年解体された「中銀カプセルタワービル」 海外から「なぜ日本は世界的に有名な建物を守らないのか」と叱る声

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日本から世界に発信された「メタボリズム」

「メタボリズム」は日本発の建築運動で、1960年代、建築家の黒川紀章氏、槇文彦氏、菊竹清訓氏ら、いずれも後に日本を代表する建築家となる面々が積極的に推し進めていた。メタボリズムとは「新陳代謝」という意味で、建築や都市の形を人口や社会の変化に合わせて生物のように成長させようというもの。黒川氏が設計した中銀カプセルタワービルは、メタボリズムの代表的建築として世界に知られることになった。

 小渕氏によれば、同ビルは非常にレアで重要な建築物だったという。

「アーバニズムの建築は、アイデア、設計図で終わり、建てられない(アンビルド)で終わるものが多かったんです。中銀カプセルタワーのように実際に建てられたのは希少で貴重です。海外から学生が来ると、メタボリズムの事例として必ず見に行っていました。海外の学生の関心はすごく高いのに、不思議なことに日本ではちゃんと教えてないんです」

 つまり、アイデアが具現化され、建築物として存在していた時点ですでに貴重であり、実際に見て触れることができた重要な存在だったわけだ。

「いま見ても未来感がある」

 小渕氏自身もカプセルに入り、オリジナル内装を生で見て驚いたという。

「50年前のものなのに、いま見ても未来感があります。これが造られた頃の日本は、未来の可能性をすごく重要視していた。今なら“日本的なテイストを”と保守的なデザインが入るでしょうが、この頃はこれほどオープンな考え方をしていたことに衝撃を受けました」

 確かに、オリジナル内装に和のテイストは全くない。無国籍で50年経っても古びないデザインを見ると、黒川氏のアイデアがいかに優れていたかよくわかる。

 また、小渕氏は黒川氏がこの建築を通して提唱した“ライフスタイル”と、それを受け入れた当時の人たちに感心したという。

「ここには収納がない。狭くて物が置けない。台所もない。今から見るととても不便だけど、街に出れば物も食べ物もある。必要なものは都市が提供するんです。これはすごいライフスタイルを提示していたと気づきました。50年前にこれを造ろうとした人も、住もうと思った人もどちらも凄い。今だったら買う人はいないかもしれません」

 海外で中銀カプセルタワービルがどう見られているかをよく知る小渕氏は、解体されたことに無念さを滲ませながら、カプセルが保存される意義をこう語る。

「ビルを壊したことは本当にまずいと思います。将来に渡って人に見せるためにも、建てられた場所に残すべきだった。だけど経済的に残せなかった。しかし、解体された結果、再生されたカプセルが世界のいろんな場所に置かれ、より多くの人がこのカプセルを体験できるわけです。どこかの地でこのカプセルに触れた人が、“こういうビジョンがあったのか!”と刺激を受け、新しい発想を生み出すかもしれません。僕も生で見て感動しました。写真で見るのとは全然違います。文化資産としての価値は計り知れません」

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