“遊廓”で一夜を過ごす 粋を凝らした転業旅館は女性一人でもOK

旅・街歩き2018年8月3日掲載

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 日本にはかつて「遊廓」という場所が各地に存在し、その区画内で公然と売買春が行なわれていたことはご存じだろう。戦後も「赤線」という名でしばらく存続していたが、昭和33(1958)年4月、売春防止法(通称・売防法)が施行され、事実上、日本地図から遊廓は消えた。つまり公娼制度が完全に廃止されて、今年で60年になる。

 それでも、じつはまだ、「遊廓で一夜を過ごす」ことができるというのだ。

「現在も、遊廓に泊まることは可能です。厳密に言えば、かつて遊廓だった旅館に泊まる、という意味ですが――」

 そう教えてくれたのはカメラマンの関根虎洸(ここう)さんだ。関根さんは、中国・大連(旧満州国)に日本が建設した遊廓跡を訪ねたことをきっかけに、粋を凝らした遊廓建築に魅了され、全国に残る元遊廓の宿を3年にわたって取材、撮影してきた。その集大成として、このたび『遊廓に泊まる』を上梓した。

「遊廓時代の建物をそのままに、旅館へと転業した“転業旅館”が、まだわずかながら全国に残っているんです」

 売防法によって、遊廓業者は、廃業するか、もしくは旅館やアパート、料亭などに転業するか、選択を余儀なくされた。それから60年という歳月がたちはだかり、今でも現役で営業している転業旅館を探すのには、関根さんも相当苦労したようだ。

 そもそも遊廓だったことを公にしている旅館は少ないし、やっと探し当てても、「この間まで営業していたのですが、先日廃業しました」と断られることもあったという。それでも一軒一軒丹念に取材を進めていくうちに、遊廓時代の資料を大切にしている宿に出会ったり、当時の様子を知る人から話を聞かせてもらったりする機会にも恵まれた。

「なにより、遊廓だった遺構に宿泊することは、僕にとって、それぞれの建物から、なにかを語りかけられているような体験でした」

 たとえば、雪深い津軽の中村旅館。立派な「黒塀に見越しの松」に迎えられて、木造2階建ての玄関を入ると、大きな旧勾配の階段が目に飛び込んできた。かつては日常から非日常への結界的な役割を果たしていたのだろうか。朱色に塗られた階段は、どこか特別な存在感を放っている。しかしよく見ると、勾配がきついわりに、手摺が不自然に低い。

――昔は階段でなくて、“顔見世”に使っていたんだよ。

 弘前弁で女将さんが呟いた。

「顔見世とはひな壇のこと。往時、この階段に遊女たちが並び、客は品定めをしたんです。女将さんの言葉の意味を理解して、しばらくの間、茫然とその場で立ち尽くしました」

「とはいえ、後継者問題は深刻ですし、残念ですが、近い将来、転業旅館は姿を消す運命にあると思います」

 大きな唐破風をつけた玄関、ロの字型に配された家屋、一枚板をつかった廊下、中庭をぐるり囲んだ回廊、ベンガラ色の壁、丸窓や扇形にくりぬかれた窓、梅の花や折鶴の釘隠し……細部にまで技巧を凝らし、遊び心に満ちた意匠を楽しめるのも、現役転業旅館の醍醐味だ。それに、遊廓は港町や門前町、繁華街に存在したので、転業旅館は観光にも便利な場所にある。宿泊料金も意外にリーズナブルで、清潔に保たれた宿が多いので、女性客にも人気が高い。

 ぜひ今のうちに、転業旅館に宿泊して、「遊郭を体験」してみてはいかがだろうか。

デイリー新潮編集部