デジタル化の時代に 「ペン」はどう生き残るか ――数原滋彦(三菱鉛筆代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】

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41歳で社長に

佐藤 数原さんは2年半前に41歳で社長に就任されましたが、いつから会社を継ぐことを意識されましたか。

数原 大和鉛筆の工場長だった曾祖父が社長になって以来、数原家から社長が出ていますが、上場企業でもありますし、父である先代の社長からも「会社はウチのものじゃないし、継げると思うなよ」と言われてきました。ですから、継ぐという意識はまるでなかったですね。

佐藤 大学卒業後は野村総合研究所に入社されています。どんなお仕事をされたのですか。

数原 野村総研というと、コンサルティングとかリサーチの仕事のほうを思い浮かべる方が多いのですが、私はシステムの部門にいたんです。それを父に話すと「システムはモノづくりで、素晴らしいことだぞ」と言われたんですね。たぶん父はこの会社に来るならいい勉強になる、と思ったんじゃないでしょうか。野村総研はソフトウエア開発や管理手法などシステム関連で高い技術力を持っているんです。

佐藤 それがいま役立っている。

数原 ええ、大変勉強になったと思います。

佐藤 会社に入られたのはいつですか。

数原 野村総研で4年くらい経った頃に、父から「ちょっと会社に来い」と呼ばれました。そこに当時の会長の祖父もいて、「この会社に入るなら、いいタイミングじゃないか」と言われた。2005年のことでした。

佐藤 その数原さんが40代になったところで社長に就任されたのは、会社にとって大きな意味があると思います。日本の場合、オーナー系ではない上場企業だとだいたい50代後半まで社長就任を待たねばなりません。でもその年齢ではどうしても思考が保守的になるし、それまでの成功体験がありますから、なかなか新しいことに挑戦できない。また体もついていきません。

数原 その点は日本の企業において、とても重要だと思います。経済成長しているうちは、その延長線上で仕事を引き継いでやっていけばよかったわけですが、人口減で経済的にも厳しくなっている日本では、さまざまなチャレンジが必要です。

佐藤 社長が若くなれば、その世代を中心に風通しも良くなります。

数原 実は、私の年齢はこの会社の平均年齢のまさに真ん中なんです。だから上の世代からも下の世代からも、話を聞ける位置にいる、と思います。先代は33年間社長を続けて、会社の中では最年長だったんですね。人の話をよく聞くといっても、本当に現場の人が思ったことを話せたかはわからないですよね。一方、経験のない私には、「滋彦にちょっと教えてやるか」という先輩たちがいっぱいいるんですよ。

佐藤 社長就任後、すぐ新事業の探索チームを作られたそうですね。

数原 就任前から構想を練っていました。新しいことをやるにはその人の熱意が大切で、それがないと困難を乗り越えられないですよね。だから弊社では初めてメンバーを社内公募したんです。本当に応募があるのか心配されましたが、結果的に複数名が応募してくれて、そこから3人を選びました。

佐藤 その後、どうなりましたか。

数原 2020年3月の社長就任と同時に発足して、外部パートナーも含め、新規事業のアイデアの探索を始めたのがその年の夏でした。そこから半年で「ラキット」というオンラインのクリエイティブレッスンの新サービスが生まれました。イラストやドローイング、レタリングなどのレッスン動画を配信して、同時にそれに使う道具もキットにして販売するというものです。

佐藤 レッスンというストーリーの中でモノを売る。

数原 はい。筆記具だと、だいたい一つ新製品を出すのに、5年前後は掛かります。ですがこの事業は半年でできた。そのスピード感が、変革の第一歩だと思っているところです。

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