【鎌倉殿の13人】史書では病死…北条義時はどんな最期を迎えるのか
義時に相応しい死
三谷氏は10月9日に放送された「鎌倉殿の13人 応援感謝!ウラ話トークSP」で義時の死についてこう語っている。
「いろいろな人の死に関わってきた彼が、最後に幸せになっていいんだろうかという思いが凄くある。彼なりの最後をきちんと描くべきではないかという気がしての最終回です」(三谷氏)
具体的にはどんなエンディングになるのか。史書とこれまでの三谷脚本から考察すると、まず義時は死の直前に、青年期のような純粋な男に戻ると読む。それが油断を生み、命取りになるのではないか。
三谷氏が描いてきた義時は好青年から悪党に変わった。これは三谷氏が日本人の義時評の変化を意識したのだろう。
義時ほど時代によって評価の違う人物も珍しい。鎌倉時代には崇められたが、江戸時代には新井白石らによって酷評された。天皇の神格化が進められた明治から戦前まではもっと酷く、教科書では皇室と敵対した極悪人扱いだった。復権したのは戦後。今では武家社会の基礎をつくった傑人というのが一般的な見方だ。
「鎌倉殿――」の義時も前半と現在では視聴者の評価がまるで違う。こんなドラマの主人公は稀だ。三谷氏はあえてそうなるよう描いたはず。実在した義時と同じく、「評価が難しい人物」にしたかったのだろう。
「鎌倉殿――」の義時は実のところ、核の部分は変わっていない。幕府を守るためなら非情になるが、一方で女性には奥手なままで、遊びも知らず、大酒も飲まない。父親の北条時政(坂東彌十郎[66])のように私利私欲に走ることもない。
何が楽しみなのか分からない。生真面目だった青年期の義時のまま。哀れですらある。時には理不尽なまでに北条家びいきになるが、これは敬愛してやまなかった兄・北条宗時(片岡愛之助[50])が、「てっぺんに北条が立つ」と願っていたからだろう。
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