妻がとつぜん失踪して9年… 「僕の不倫のせいなのか」と苦悩する44歳男性“波乱の家族史”

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咲紀子さんの失踪

 突然、咲紀子さんがいなくなったのはそれから1週間後だ。土曜日の夜、家族4人で夕食をとろうとしたとき、急に「忘れ物した。先に食べてて」と言って、咲紀子さんは小銭入れだけ持って出て行った。

「近所で誰かと会って立ち話でもしているのかなと思いましたが、1時間たっても帰ってこない。優子さんに連絡して来てもらうことにし、僕は咲紀子を探しに出ました。結局、見つからずに2時間後には警察に連絡したんです」

 咲紀子さんの行方はそれきりわからなかった。情報もない。夫婦とも携帯電話は所有していたが、彼女は置いて出ていた。携帯を調べても特に怪しい履歴もなかった。いまから9年前の出来事である。

 その後は優子さんが妻代わりになって子どものめんどうを見てくれた。そんな優子さんの姿が養母と重なり、彼はいつも息苦しくなるような気持ちになった。

「咲紀子からはまったく連絡がなかった。警察からも情報はなくて。失踪当時、優子さんは当時30歳。彼女は日本の大学に入ってから単身でまた渡米、帰国後、東京の外資系企業でバリバリ働いていたんですが、数年で人間関係に疲れたと実家に戻ってきたんです。それで咲紀子を手伝うようになった。元気になったらまた仕事をしたいと言っていたのに、咲紀子がいなくなってからはずっと家に泊まり込んでくれていました。ひとつ屋根の下にいると、どうしても……」

 夫婦同然の暮らしとなった。近所や親戚からはさまざまな噂や苦言があったが、ふたりにとって別れという選択肢はなかった。ただ、表向きは「妻の帰宅を待つ夫と、妻の代わりに家事育児を手伝う従姉妹」を貫いた。同情と好奇な目、周りの人たちの感情が手に取るようにわかったと淳也さんは言う。

「それでも仕事を辞めるわけにはいかない。社員にだけは信じてほしいと言い続けました。まあ、嘘をついていたことにはなるんですが、どうしても社員の気持ちを乱したくなかった。優子さんも協力してくれました。僕たちがひとつになるのは、子どもたちが寝静まった深夜に少しの時間だけ。本当は僕がひとりで子育てもするべきだという気持ちがあったから、そこか彼女には遠慮がありました。外でも家でも、僕は『優子さん』と呼んでいました。彼女はときどき、どうしたらいいかわからないと言っていました」

 いっそ妻との離婚を成立させたほうがいいかもしれない。行方不明から3年以上連絡もとれず、まったく居場所がわからなければ、法的に離婚することは可能だ。淳也さんはそうしようと考えた。ところが優子さんがそれには反対だった。万が一、咲紀子さんが帰ってきたら合わせる顔がないというのだ。

「連絡ひとつ寄越さない咲紀子に対して腹が立ちましたが、一方で、僕自身も咲紀子をあきらめきれないところがあった。優柔不断ですよね。それに大人の事情はともかく、子どもたちの精神状態がいちばん心配でした。優子さんと再婚したらどうなるのか。幼いときの自分の気持ちを思い出すと決心できなかった」

 7年たてば失踪宣告を出すことができる。そうすれば「死別」として扱われる。それまで待つしかないのかもしれないと淳也さんは思った。だが、待ってほしいと優子さんには言えなかった。

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