恩師、元チームメートが明かす村上宗隆の素顔 清宮への嫉妬、宮本コーチの説教に涙した秘話も

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サイン盗み疑惑で相手ベンチに詰め寄ろうとしたことも

 今年、史上8人目となる三冠王を獲得した村上宗隆。史上最年少での達成という快挙である。放った本塁打は56本と、あの王貞治を抜き日本人としての年間最多記録をマークした。他にもプロ野球新記録となる5打席連続本塁打など、記録ずくめの1年となったが、驚かされるのは彼がまだ22歳ということ。プロになってわずか5年で王の記録を超えてしまったのだ。

 ホームランを量産する技術と体もそうだが、彼の特長は何よりその心の強さ。ベンチでは最前列でナインを鼓舞し、SNSでは「村上監督」とも呼ばれるほどだ。対戦チームにサイン盗みが疑われた時は、「あかんすよ!」と言いながら相手ベンチに詰め寄ろうとしたこともある。

 こうした村上の「心技体」はいかにして作られたのか。その原点が高校まで、すなわち人生の5分の4を過ごした地・熊本にあるのは間違いあるまい。

炭酸飲料は飲まない

「ムネの意識の高さにはびっくりでした」

 と振り返るのは、村上が在籍した「託麻南野球クラブ」でコーチを務めた、下田恭生氏である。

「その辺りは他の子とは段違いでしたね」

 村上は2000年2月、熊本市で生まれた。父・公弥さんは高校を卒業して地元の建設会社や不動産会社に勤務した後、「ムラカミ不動産」を興している。年商は2千万円ほど。母・文代さんは専業主婦だ。

 公弥さんは高校時代、強豪・熊本工大高でショートを守っていたが、右肩を手術し野球を断念した過去がある。文代さんは高校時代にバレーボールのアタッカーとして活躍したことも。

 その間に生まれた村上は3人兄弟の真ん中で、兄は社会人野球の選手、弟もこの夏、甲子園に出場した「スポーツ一家」だ。

 次男坊の村上は幼稚園の頃から野球を始め、地元の「長嶺地域スポーツクラブ」に週1度通ったが、本格的に野球の道へ入ったのは小学4年生の時。前出の「託麻南野球クラブ」でのことだった。

「その頃から“プロ野球選手になりたい”とはっきり宣言していて」

 と下田元コーチは言う。

「口だけじゃないんです。体を気遣い、子どもなのにお菓子や炭酸飲料を口にしないと決めていましたし、試合が朝の8時半に始まるとするでしょ。するとムネはその日は4時半に起きるんだそうです。最大限の力を発揮できるよう、早めに起きて体を慣らしておく必要があると。朝ご飯も消化がいいからと、うどんに決めていたそうです」

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