ヤクルト・村上宗隆が三冠獲得へ…三冠王を巡る名選手たちの“激闘譜”

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「実力四分、ツキ六分」

 ヤクルトの若き主砲、村上宗隆の三冠王達成への期待が高まっている。実現すれば、史上最年少で、令和では初めて。平成以降でも2004年の松中信彦(ダイエー)以来18年ぶりの快挙になる。「三冠王」がトレンドワードになりつつあるなか、歴代の達成者やあと1歩で三冠王を逃した選手たちのエピソードを集めてみた。【久保田龍雄/ライター】

 三冠王第1号は、戦前の巨人の4番打者で、“和製ベーブ・ルース”と呼ばれた中島治康である。1938年秋のシーズンで打率.361、10本塁打、38打点を記録し、史上初の三冠王に輝いたが、当時は三冠王という概念が希薄だったので、ほとんど話題にならなかった。

 それから27年後の65年、野村克也(南海)が戦後初の三冠王を達成すると、中島の記録も初めてクローズアップされ、同年9月30日、プロ野球実行委員会から認定を受けた。

 中島は38年の春秋通算でも打率.353、11本塁打、63打点で三冠王だったことから、通年か秋季のどちらを基準にするか検討された結果、春、秋をそれぞれ独立したシーズンと扱うことになり、史上初の三冠王は出場わずか38試合で達成された。

 中島に次いで史上2人目の三冠王になった野村は、“不戦勝”とも言うべき思いがけない形で栄冠を手にした。9月下旬の時点で打点王は2位以下に大差をつけていたが、首位打者と本塁打王はスペンサー(阪急)の猛追を受け、大ピンチだった。

 ところが10月5日、スペンサーが交通事故で右足を骨折して出場不能になり、事実上、三冠王が決定する。「実力四分、ツキ六分が、ワシの三冠王の内訳や」と“野球の神様”に感謝した野村は、以来「勝った日はパンツを替えない」など、何かにつけてゲンを担ぐようになった。

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