ヤクルト・村上宗隆が三冠獲得へ…三冠王を巡る名選手たちの“激闘譜”

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「世界の王」は5度も逃した

 史上3人目の王貞治(巨人)は、73、74年に史上初の2年連続三冠王を達成したが、その一方で、二冠まで達成しながら、あとひとつが2位で惜しくも三冠王を逃したシーズンが5度もあった。これは中西太(西鉄)の4度を上回る史上最多になる。

 中でも日本新(当時)のシーズン55本塁打を記録した64年は、もし達成していれば、史上最年少の24歳の三冠王が誕生するところだった。

 残り2試合で打率トップの江藤慎一(中日)を上回るには8打数6安打以上が条件だった王は、9月22日の大洋戦ダブルヘッダー第2試合で55号を放ったが、2試合で6打数3安打に終わり、3厘差で首位打者を逃した。

 後に王自身も「僕は打率で苦しんだ。首位打者だけを狙う人もいるからね」と回想している。

 一方、三冠王を4度逃し、1度も達成できなかったのが、前出の中西である。56年は本塁打と打点でトップも、首位打者を争っていたのが、チームメイトの豊田泰光だったことから、日本シリーズを前にチームの和が乱れることを心配した三原脩監督が中西を説得。シーズン最終戦の10月6日の阪急戦を2人揃って欠場した結果、豊田が5毛差で初の首位打者になった。

 また、58年は打率、本塁打、打点のいずれもトップで全日程を終了したが、84打点で並んでいた葛城隆雄(大毎)がシーズン最終戦の最終打席で本塁打を放ったため、三冠王は幻と消えた。

松井秀喜、イチローはあと一歩で

 二冠を3度達成しながら、三冠王に手が届かなかったのが、松井秀喜(巨人)である。NPB最後のシーズンとなった2002年、史上8人目の50本塁打を記録した松井は、打点もトップだったが、打率1位の福留孝介(中日)とは6厘差。逆転するには、10月11日のシーズン最終戦、広島戦で4安打以上が条件だった。

 しかし、結果は5打数無安打……。4回の2打席目で空振り三振に倒れ、逆転が不可能になった瞬間、スタンドの広島ファンからもため息がもれるほどだったが、松井は「残念といえば残念だけど、やれることをやった結果だから悔いはない」と潔く踏ん切りをつけた。

 オリックス時代のイチローも、2年連続首位打者を獲得した95年は、打点王と二冠。残る本塁打王も、トップが小久保裕紀(ダイエー)の28本とあって、残り3試合で4本という厳しい条件ながら、史上最年少の高卒4年目で三冠王になっていた可能性もゼロではなかった。

 結局、3試合で1本塁打に終わったが、10月2日のシーズン最終戦、近鉄戦の5回に放った25号2ランが大きくモノを言って、初芝清(ロッテ)、田中幸雄(日本ハム)とともに打点王も手にした。

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