祖父と父から受け継いだものをゆっくり守り育てる――石渡美奈(ホッピービバレッジ社長)【佐藤優の頂上対決】

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ゆっくりと守り育てる

佐藤 はっきり会社を継ぐことが決まったのはいつですか。

石渡 2003年に副社長になった時ですね。父から「いずれあなたに会社を任せると決めた、私は口を出さない」と言われました。35歳の時です。

佐藤 それから石渡さんは売り上げを5倍に伸ばされています。

石渡 2002年に8億円だった売り上げが、2019年にホッピー史上初の40億円超え、41億円になりました。焼酎人気や健康志向の高まりが追い風になったんです。広告宣伝をインターネットとリアルの双方で積極的に打ってきたのがよかった。

佐藤 石渡さんも「ホッピーミーナ」の愛称で、自らメディアとなられ、テレビやラジオに出演されたり、本も書かれています。

石渡 「タモリ倶楽部」や「ワールドビジネスサテライト」に出演させていただきました。また2006年からはニッポン放送で「看板娘ホッピーミーナのHoppy Happy Bar」という番組を持たせていただいています。昨年放送4千回を迎え、いまも続いています。

佐藤 こうした石渡さんの属人的な力も大きい。

石渡 いえいえ、みなさん、ホッピーを愛してくださる。それに尽きると思います。

佐藤 今回のコロナの影響はいかがですか。

石渡 売り上げは約半分になりました。40億円超えしたところで、まさか“禁酒法時代”が来るとは思いませんでした。今年は順調に回復していたのですが、第7波で東京の感染者が1万人を超えたあたりからまた数字が落ち、飲食店様も続々とキャンセルが入っているそうです。

佐藤 2年半にわたるコロナ禍で、閉店した得意先もありますか。

石渡 もちろんです。残念ながら自ら命を絶った方もいらっしゃいます。そこまで行かなくても、朝起きると震えがきて、外に出られないという方もいます。そうした中、みんな時間があるから朝な夕なに会おうと声をかけ合う等、あの手この手を尽くし、仲間同士で支え合ってきました。

佐藤 いま行われている「発幸プロジェクト」もその支え合いの一つですか。

石渡 はい。コロナで社会が内向きになりがちな中、発酵という言葉にひっかけ、「発幸プロジェクト」を始めました。まずはレシピサイトから始めて、一人飲みの際に見ていただくためのショートフィルム専用オンラインシアターもオープンしました。スマートフォンで簡単にご覧いただくことができ、常時16本用意しています。また弊社は瀬戸内国際芸術祭に関わっているので、瀬戸内海の犬島に「犬島ホッピーバー」という古民家バーを作り、会期中の週末には私が店のママをやっています。そこでホッピー関連情報を紹介する「発幸ブック」をお配りしています。

佐藤 まずはコロナ前の水準に戻すことが第一だと思いますが、今後、会社をどのようにしていきたいですか。

石渡 いたずらに大きくすることはせず、祖父と父から受け継いだものをゆっくりと守り育てていきたいですね。父からは一度も褒められたことがなかったのですが、2019年に亡くなる寸前、「こんなにやってくれるとは思わなかった、ありがとう」と言われたんです。そう言われちゃったら、もうこの先、死ぬ気でやるしかない。コロナでも他の何がやってきても、生涯頑張るのみだと思っています。

石渡美奈(いしわたりみな) ホッピービバレッジ社長
1968年東京都生まれ。立教大学文学部卒。90年日清製粉(当時)に入社し、93年退社。広告代理店などを経て97年にホッピービバレッジ入社。広告宣伝を担当後、2003年に副社長、10年に社長。著書に『ホッピーでHAPPY!』『社長が変われば、社員は変わる!』など。

週刊新潮 2022年9月8日号掲載

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