祖父と父から受け継いだものをゆっくり守り育てる――石渡美奈(ホッピービバレッジ社長)【佐藤優の頂上対決】

  • ブックマーク

Advertisement

ラムネからホッピーへ

佐藤 今回、資料を読んで驚いたのは、ホッピーが20人ほどの会社であることです。この規模でこんなに名前が知られている会社って、めったにないのではないですか。

石渡 確かにそういう声はよくいただきますね。

佐藤 しかも基本的に首都圏でしか売られていない。1日に15万本出ていて、売り上げの8割は首都圏の居酒屋だそうですね。

石渡 はい。「昭和の味」であるとともに「東京の味」、東京ドリンクです。

佐藤 歴史も古い。

石渡 今年で創業117年になります。

佐藤 会社はどのように始まったのですか。

石渡 1905(明治38)年創業で、もともと祖父の秀が10歳の頃、赤坂で「石渡五郎吉商店」という餅菓子屋を営んでいたんです。いまの東京ミッドタウンが陸軍歩兵第1連隊の駐屯地だった頃、そこに餅菓子を納める御用商人でした。おそらくは砂糖を優先的に配給してもらっていたのでしょうね。

佐藤 六本木のミッドタウンは赤坂のすぐそばですから、歩いて行ける距離です。

石渡 陸軍との関係があったために、海軍伝いに日本にラムネが入ってきた時、「砂糖があるならラムネを作ってみないか」と言われたそうです。そこで当時15歳の祖父が、ラムネ屋さんを始めた。見よう見まねで作ったのだと思います。それがきっかけで清涼飲料水の世界に入るんです。

佐藤 それは何年のことですか。

石渡 1910年です。そこで「イカリラムネ」という名前のラムネを売り出しました。

佐藤 なるほど。イカリというと、海軍のイメージですね。

石渡 それからしばらくはラムネやサイダーを作ってきました。ホッピーができるのは、ずっと時代が下って戦後のことです。

佐藤 ラムネとホッピーは同じ清涼飲料水でも、かなり違います。

石渡 大正末期にノンアルコールビールがはやったことがあったそうです。祖父のところにも、作らないかと話が持ち込まれているんですね。でも、この時は断った。

佐藤 どうしてですか。

石渡 中小の業者にはビール醸造が認められていなかったため、当時作られていたのは、水に泡立て材とホップの代わりに苦味をつけるエッセンスを入れた「まがいもの」だったんです。だから祖父は「本物じゃなかったらやる意味がない」と、やらなかった。

佐藤 戦前のビールは、いまとは比較にならないほどの高級品でした。ましてや大正時代なら時代の先端を行く商品ですから、ノンアルコールビールでもなかなか参入できないでしょうね。

石渡 はい。ただ祖父はビールには思い入れがあったようです。ラムネは、夏はよく売れますが、冬の売り上げが厳しいんですね。そこである人から「雪国でやったらどうか」と言われたそうです。スキーやスケートなどウインタースポーツをやりますし、家の中は暖かく乾燥している。だから冬でもラムネが売れるだろうということでした。それで長野県に工場を作るのですが、そこはビールの原料となるホップの産地でもあるんですよ。

佐藤 深謀遠慮があった。

石渡 長野に親戚がいるわけでもなく、その地を選択した理由が他に見当たらない。当時、ホップは大手ビール会社が押さえていて一般には売ってもらえなかったのですが、祖父は現地に行けば何とかなると考えたんじゃないか、そんな話を2代目の父としたことがあります。実際、現地で大手が買ってくれないB級品を特別に譲っていただくことができました。

佐藤 では、戦前からホッピー造りの準備をされていたわけですね。

石渡 はい。弟を東京・滝野川にあった国立の醸造研究所に行かせて勉強させるなどしています。でもビール製造には規制があって、結局、合成酒を作ることになった。それが戦後にホッピーとなります。

佐藤 ホッピーの誕生は1948年でしたね。

石渡 焼け野原になった日本の闇市から広がっていきました。本物のビールは高嶺の花で、庶民にはとても手が届かない。だからみんな目が潰れる覚悟で安くて臭い密造酒を飲んでいたのですが、それをホッピーで割ると、臭みがなくなり、ビールのような味がする。そこで「ビールのようにおいしく飲め、ビールよりも早く、安く、酔える」と評判になったんです。

佐藤 清涼飲料水では独特の立ち位置を占めています。ビールを売り出していたら、会社は全然違う展開になったでしょうね。

石渡 ビールなら、たぶんいまの会社はないでしょう。

佐藤 もっともビールの代用品として広まったわけですから、高度成長期にビールの値段が下がり、冷蔵庫が普及して家庭で気軽に楽しめるようになると、お客さんが離れていったのではないですか。

石渡 そこは祖父と父・光一の時代ですが、確かに冬の時代はありました。ただその時期に近代化のための設備を整えたり、大手ビール会社を定年退職した醸造技師の方を迎え入れたりしているんです。そうやってホッピーを守り抜いてくれたことに最大級の賛辞を捧げたいです。

佐藤 現在はビールも清涼飲料水も、巨大資本の寡占状態にあります。どこかの傘下に入らないかという話もありませんでしたか。

石渡 しょっちゅうあります。この間も大手メーカーからお話があったばかりです。

佐藤 そしていつの間にか時代が変わって、ホッピーは最先端のヘルシードリンクになっていた。

石渡 ありがたいことです。時代によって商品のどの面に光が当たるかは変わります。そこはきちんと見ていかなければならないと思っています。

次ページ:一人娘として

前へ 1 2 3 4 次へ

[2/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。