もやしの乗った「浜松餃子」誕生秘話 元祖の店主は「形だけパクった餃子が増えすぎた」

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「浜松餃子」を名乗る気はない

 突如として、加藤さんが料理について語り始めてくれたことは幸運以外の何物でもなかった。隣でビールを飲んでいる渡辺氏も「ここまでマジメに餃子を語る大将、見たことがない」と目を丸くして聞き入った。食材をきっかけに始まった話は浜松餃子の歴史へと続いていく。

「遠鉄(遠州鉄道)の新浜松駅、今は暗渠になっちゃったけど昔は川の両岸に屋台がたくさん並んでいた。1960年代、僕の母親はそこで餃子の屋台をやっていてね、夜になると屋台を組み立てて、屋台で使うプロパンガスなんかはそこらへんの道に穴を掘って隠しておいたみたい(笑)。親父はホルモンと焼き鳥の店をやっていて、僕は両方を受け継いだからウチの店のメニューがこうなったわけ。うちの餃子は肉4、野菜6で肉が多めで味が濃いし、当時は今よりも油を多めに使っていたので、ウチの親父がさっぱり食べられるように茹でモヤシの付け合わせを考案した。ウチにはそういうルーツがあるけど、僕は今の『浜松餃子』を名乗る気はない。外見だけパクってモヤシを乗せたらいいんだって餃子が増えすぎた」

 “もやしを添えた発祥”を名乗る店は他にもあるが、全く眼中にないようだ。

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