もやしの乗った「浜松餃子」誕生秘話 元祖の店主は「形だけパクった餃子が増えすぎた」

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町おこしの〝道具〟になってしまった

 加藤氏がやり玉に上げるのは「浜松餃子公式サイト」の定義だ。同サイトでは〈浜松餃子を一言で表す定義は、『浜松市内で製造されている事』です。現在では、この定義をよりピュアにする為に、『3年以上浜松に在住して』という条件を付加しました。が、つまる所、浜松で作られている事が重要で、それが特徴と結び付くのです」としている。しかし、加藤さんの目にはいつの間にか「浜松餃子」が町おこしの〝道具〟として使われ、創業年の古さといった歴史と看板にあぐらをかく店が増えてしまっているように映っている。

「創業以来変わらぬ味だって誇っている店があるけど、僕から見たらそれは創業以来何もしていない、進歩していない店だってこと。餃子が日本に入ってきたのは終戦後に満州から引き揚げてきた人たちが広めたから。日本各地の餃子がそんな感じだよね。まだまだ、日本での歴史が深いなんて言えないと僕は思う。もっとおいしく進化できるはず。そのためには何が必要なんだろうかって僕は毎日考えてきたし、世界中で食べ歩いた。今まで考えてきたことは全部やってみたよ」

「きよ」の店頭にはたびたび「休みます」と臨時休業のお知らせが貼られることがあった。餃子をおいしくするヒントを得るために、加藤さんは香港、台湾、東南アジアに出かけていたのだ。そんなことを知らない常連客は「また休んで遊びに行ってるのか」と苦笑で来た道を引き返した。

「最初は好きじゃなかったけど、パクチーなんかも日本で流行する前から食べていたよね。香港のハイアットにある『凱悦軒』のナンバーワンシェフ、周中さんが作ったパパイヤフカヒレ蒸しスープなんか『美味しんぼ』の雁屋哲さんより先に僕が見つけてたから。広東料理は塩味が強いものなのに日本人向けにアレンジして出されたことがあって、『本物を出してくれ』って頼んだこともあったな(笑)。料理でもサービスでも一流を知ることはとても大切なこと」

 野菜や肉の配合から、餃子を焼く油とスープのバランス、調味料まで何から何までをこだわり、加藤さんにとってのベストを更新し続けてきた。頑固おやじな気質だから常連客にも努力を明かすことはないし、店舗の拡大を考えたこともない。通い続ける客の味覚も知らぬ間にアップデートされ、「きよ」の餃子以外では満足できなくなっている。和洋中を問わず多くの料理人が加藤さんの餃子を食べるためにやってくる。

「カウンターが好き。お客さんの喜ぶ顔が見たいじゃん」と厨房に立ち続ける加藤さんにとって料理とは果てしなく続く道のような存在だ。

「何事もこれでいいと思っちゃいけないね。妥協するってことは手抜きですよ」

 ニンニク以上にガツンとくるひと言をもらって、店を出る。振り返ると、住宅街に「ぎょうざ」の赤提灯が煌々と輝いていた。

(鍋貼強子きよ:静岡県浜松市中区鴨江1-33-5)

適掃夫(てき・ぱきお)
都内に住む30代サラリーマン。小学生のとき、母親の手伝いで料理に目覚め、兄の夜食を作るようになる。大学時代にはカジュアルイタリアンの厨房でアルバイト。就職後は自炊することがなかったが、3年前にアーティストとして働く妻と結婚して家事全般を担当。猛スピードで掃除洗濯をこなす様子から妻に「テキパキオ」と名付けられる。PB食品の食べ比べがスーパーの売り場徘徊が趣味。蛇口とシンクを磨くのが好きで、行きつけの飲み屋の閉店作業に加わりがち。ツイッターは「@tekipakio」

渡辺広明(わたなべ・ひろあき)
流通アナリスト。コンビニジャーナリスト。1967年静岡県浜松市生まれ。株式会社ローソンに22年間勤務し、店長、スーパーバイザー、バイヤーなどを経験。現在は商品開発・営業・マーケティング・顧問・コンサル業務など幅広く活動中。フジテレビ『FNN Live News α』レギュラーコメンテーター、TOKYO FM『馬渕・渡辺の#ビジトピ』パーソナリティ。

デイリー新潮編集部

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