「人生これでいいのか」と不倫の道へ… 浮気夫を2度驚かせた、“20年連れ添った妻”の秘密

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男性が不倫をしやすい年齢は…

 それから数ヶ月後に長女が、そして3年後に長男が産まれた。亜樹さんは時短で復職し、数年後にフルタイムに戻った。ふたりの母親がうまく時間をすりあわせて、若い家庭を助けてくれた。

「不思議なことに亜樹は僕の母と気が合ったみたい。僕はむしろ亜樹の母親とのほうがつきあいやすかった。うちの母はおしゃべりで、うるさいんですよ(笑)。だけど亜樹は、その母をうまくおだてて使いこなしていた。母はすっかり亜樹のファンでした。亜樹の母は、物静かな人でね、でも亜樹は『何を考えているのかわからないところがあって苦手』と言っていました。それぞれ自分の母親とはうまくつきあえなかったのに、配偶者がちゃんとつきあってくれるから、なんとなく家庭はいつも円満な雰囲気でした」

 だが30代後半のころ、庸輔さんは漠然とした不安に襲われるようになった。子どもたちは元気にすくすく育っている。妻とは「同志」のような関係ができあがっている。大きな問題がないのはいいことであるはずなのに、何か心が落ち着かない。

「今思えば、刺激がほしかったんでしょうね。言葉にすると安易ですが、その当時の僕は、このまま不惑に突入するのか、そして大きな楽しみもないままに平凡な時間を淡々と過ごしていくのか、と自分を軽蔑するような感じでした。別に大物になりたいわけでも有名人になりたいわけでもないけど、もっと充実した人生があるはずだったのにと思っていた。平凡こそがむずかしいし、平凡こそが幸せなのに、あの頃はそう思えなかったんですよ」

 若さに陰りが見え始めるアラフォーだが、まだ老いを認める時期ではない。少しだけまっすぐ突っ走れない自分を意識し始める年齢なのかもしれない。

 不倫の取材をしながら、男性が不倫をしやすい年齢は、39歳、48歳、58歳あたりだなと感じたことがある。それぞれ年代が変わるころに人は迷走しやすいと思えてならなかった。庸輔さんもまた30代後半で迷った。そして39歳のとき恋に落ちたのが、5歳年下の都美さんだった。

「楽しかったですね。若いころ以上にドキドキしました。家庭を持ったことで取り上げられてしまった『恋』という、秘密の宝物を自分だけが手に入れた快感もありました。僕がもとめていたのはこれだ、これさえあれば生きていける。そう思った」

 このときの彼は、恋をすることが楽しかったのであって、都美さんでなければならない理由はなかったのではないだろうか。だから恋は2年と持たずに終息していった。

「情熱は続かないですよね。それがわかったのもよかったと思います。男として、まだイケるとも思えた……。そう言うと、自分のためだけに恋をしたように聞こえるかもしれませんが、都美さんのことはリスペクトしていましたよ。ただ、彼女は独身でしたが、親との関係で悩んでいるという話を聞いたとき、『こんな楽しい恋をしているんだから、ネガティブな話はやめようよ』と言ったことがあるんです。それから彼女は態度が変わった。だけど僕は既婚だし、彼女の人生に責任はもてない。だからあえてそういう心の奥底に眠っている気持ちを掘り起こして伝えないでほしかった。いや、わかってますよ、身勝手なことは」

シングルマザーとふたたびの「恋」

 それなら既婚女性とつきあえばよかったのにと、つい言ってしまった。そのほうが理解しあえる。だが彼は、「既婚女性は時間的な制約が多いから」とつぶやいた。既婚であろうと未婚であろうと道ならぬ恋であろうと、全人格的につきあえないなら、恋は薄っぺらいものになってしまうのではないだろうか。

「そうなんですよね。だから次の相手とどっぷりつきあいました。すぐに自分自身が潰れるほど疲弊しましたが」

 なんと庸輔さん、46歳のころ、また恋に落ちていた。今度の相手は同世代の有美子さん。バツイチのシングルマザーだった。とはいえ子どもはすでに成人しており、彼女はひとり暮らしをしていた。

「はまりました。有美子はどこか放っておけないところがあるんです。料理が上手で手際もいいんですが、醤油を持ったまま躓いてぶちまけてしまったり、冷蔵庫に入れて解凍しておくべき素材を入れ忘れたり。そのつど泣きそうな顔をする。そういうところがかわいかった。いくつになっても自分が何とかしてあげなきゃと思える女性に、僕はそそられてしまうんです」

 彼女の家にはたびたび泊まった。そのころ庸輔さんの仕事は海外との取引が多く、時差の関係で、ときには夕方から未明にかけて仕事をすることもあり、かなり変則的な勤務状態だったのだ。だからたとえ帰宅しなくても、妻の亜樹さんは何も言わなかった。亜樹さん自身も仕事が多忙な時期だった。それでも夫婦は、それぞれ子どもたちとはコミュニケーションをとっていたし、子どもたちはふたりの元気な祖母たちと両親と「適当に」つきあいながら、学校生活を満喫していた。

「有美子のひとり息子は、もう完全に独立していて、めったに連絡もしてこない。彼女はどこか寂しげでしたね。だから僕はよけい、彼女にはまっていったんだと思います。性的な相性も最高でした」

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