「ちむどんどん」のキーパーソン・原田美枝子 15歳でデビュー、20代で勝新に鼻をへし折られた女優人生48年を辿る

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 NHK連続テレビ小説「ちむどんどん」のキーパーソンは大城房子役の原田美枝子(63)にほかならない。圧巻の演技を見せ、堂々の存在感を示している。ヒロインを演じた青春映画「恋は緑の風の中」(1974年)でデビューしてから48年。原田の現在地までを辿る。

ヌードは「何ともない」

 原田の原点は「恋は緑の風の中」だ。撮影時は15歳で高1。ストレートロングの髪とさわやかな笑顔が印象的な美少女だった。

 この映画には原田のヌードシーンがほんの数秒ある。これが伝説化してセンセーショナルに語られることもあるが、実際に観てみると卑猥な感じはしない。

 ヌードが披露されたのが、主演・佐藤佑介(62)の夢の中に過ぎず、生々しさがないせいでもある。原田は白く薄い布を身にまとい、妖精のように振る舞う。

 あのころの原田はヌードについて、こう語っている。

「スタッフがカチンとまとまって、雰囲気をつくってくれれば何ともない。映画はそういうところ、良心的だから」(原田、週刊現代、1979年6月14日号)

 ただし、映画そっちのけでヌードのことばかり語られるのは嫌がっていた。

 原田と佐藤はともに中2という設定だった。思春期の恋を真正面から描いた作品で、中学生たちに広く共鳴された。「中学三年コース」(学研)などの学年誌でも特集が組まれた。端整な顔立ちだった佐藤が、女子たちの間で人気を博していたからでもある。

 ちなみに佐藤も「ちむどんどん」と関係している。第52話で宮沢氷魚(28)が扮する新聞記者・青柳和彦が、勤務先の東洋新聞に載った広告の「おいしいご飯を作るのはお母さんの仕事」という文言について、「男女の役割分担を固定化する」と猛批判したが、元ネタは佐藤が出演した1975年の即席ラーメンのCMに違いない。

 このCMは結城アンナ(66)が「私、つくる人」と言った後、佐藤が「僕、食べる人」と口にする。これに対し「料理は女性の役割なのか」などと抗議の声が上がったため、放送が打ち切られた。

原田はデビュー映画で浮いていた

「恋は緑の――」には2人の同級生役で10代半ばの役者が十数人登場したが、原田は誰の目にも浮いている。容姿に関する問題ではない。1人だけ演技がやたらうまいからだ。

 動きが自然で堂々としている。セリフの滑舌も良い。それまで児童劇団などに入っていた訳ではないにもかかわらず、デビュー作からプロはだしの演技だった。天才肌だった。

 出生地は東京・豊島区。両親と兄2人の5人家族。芸能界入りのきっかけは中2の時に受けたオーディションだった。

 当時、世界的に大人気を博していた美少年のマーク・レスター(63)が主演した日本映画「卒業旅行」の相手役に応募した。合格こそ逃したものの、芸能関係者の目に留まり、桜田淳子(64)らがいたサンミュージックに所属することになった。

「恋は緑の――」出演時は、OBに故・児玉清さんらがいる都立工芸高でデザインを学んでいたが、この映画での好演により出演依頼が相次いだため、3部制(午前、午後、夜間)だった都立代々木高に移った。

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