「ちむどんどん」のキーパーソン・原田美枝子 15歳でデビュー、20代で勝新に鼻をへし折られた女優人生48年を辿る

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17歳で9つの映画賞を獲る

 転校により仕事モードが全開となる。16歳だった1976年には元大映のエース監督の故・増村保造氏に見込まれて、「大地の子守歌」に主演する。役柄は騙されて娼婦になり、最後は失明する少女。やはりヌードがあった。この映画は田中絹代さんの遺作でもある。

 同じ年、水谷豊(69)の出世作である映画「青春の殺人者」にも出演。両親を殺害する青年役だった水谷の恋人を演じた。水谷とのラブシーンでやはり脱いだ。「雰囲気をつくってくれれば何ともない」という言葉通りだった。

 原田はこの2本の映画でキネマ旬報ベストテン主演女優賞など実に9つの映画賞を獲る。17歳(受賞時)で早々と「演技派女優」の称号を得た。

 もっとも、本人は賞には無頓着だった。

「ふーん、それで? みたいな(笑)。偉そうなんだけど、あげるって言うんなら、もらおうって感じ」(原田、LEE、1989年4月号)

 演技を誉められても喜ばなかった。そんなこともあって、10代のころの原田は「ツッパリ女優」と呼ばれた。

 だが、20代になったばかりのころ、ある大俳優に鼻をへし折られる。フジテレビのドラマ「新・座頭市新・座頭市 II」(1978年)で知り合い、様々なアドバイスを受けていた故・勝新太郎さんである。

「美枝子の芝居は子役の芝居。生まれっぱなしだ」とばっさり切られた。「そうかな、と見直したら本当にひどい。頑張っていたつもりでも偶然できただけに過ぎなかった。勢いだけで仕事をしていたんです」(原田、読売新聞、1999年11月4日付夕刊)

 勝さんとしては「もっと上を目指せ」と言いたかったのだろうが、原田はしばらく演技について考え込んだ。

転機となった黒澤作品

 トンネルを抜けるきっかけとなったのは26歳の時に出演した故・黒澤明監督の「乱」(1985年)。寺尾聰(75)が演じた戦国武将・一文字太郎孝虎の正室である楓の方を演じた。

「黒澤さんが撮影でOKという時は、きっと半端なOKではないだろう。自分のすべてをかけて、ゼロからやってみよう」(原田、同)

 手応えが得られなかったら、女優を辞める覚悟だったが、黒澤監督を大いに満足させた。原田は全米映画批評家協会賞の助演女優賞を得た。黒澤監督はすっかり原田が気に入り、1990年の「夢」にも起用した。この時点で原田の演技は国内最高クラスに達していたと言って良い。

 29歳だった1987年にはロックグループ・ARBのリードボーカルで俳優の仕事も始めていた石橋凌(65)と4年の同居生活を経て結婚する。相思相愛だった。

「第一印象はきれいな顔をした人だなと(笑)。それに、まじめでちゃんと生きてるっていうのかな。自分の仕事はもちろん、家族や友達もすごく大切にしている人でした」(原田、MINE、1992年11月号)

 翌1988年には現在はVFX(特殊効果)アーティストの石橋大河さん(33)を出産。1992年には長女でシンガーソングライターの優河(30)、1994年には次女で女優の石橋静河(27)を生んだ。静河がNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で静御前を演じたのはご存じの通りだ。

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