突然「浮気」にハマり最大5股 アラフォー夫の目を覚まさせた、妻の“習いごと”

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 警視庁の統計によると、配偶者からの暴力にかんする令和3年の相談件数は8011件。うち1592件が男性からの相談だった。妻からのDVに苦しむ夫は、近年、増加傾向にあるといえる。

 性別を問わず暴力を肯定することはできない。だが、今回の話を聞けば”自業自得”の名場合もあるかもしれない、と思えてくる――。20年以上にわたって男女問題を取材し、『不倫の恋で苦しむ男たち』(新潮文庫)などの著書があるライターの亀山早苗氏が、当事者の男性に話を伺い、その胸中を明らかにする。

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 人間、性格や習慣はそう簡単に変えられない。だが、「いや、僕は生まれ変わります。生まれ変わってみせます」と断言する男性がいる。聞けば、「生き方を変えないと、今度は妻から捨てられるので」と苦笑するのだが、果たして何があったのだろうか。

 富永浩也さん(43歳・仮名=以下同)は、つい先日、妻に跳び蹴りされて肋骨にヒビが入り、現在、コルセットをして固定している状態だという。跳び蹴り、と驚いて復唱すると、彼は笑うと痛いと言いながら、「そう、跳び蹴り。すごかったですよ」とそのときの様子を事細かに伝えてくれた。穏やかな表情でよくしゃべり、よく笑う。こういう男性はモテるんだろうなと思ったが、意外にも彼は「もともとすごく暗い性格だった」という。

「生まれ育ったのは、西日本の小さな町。よそ者が来たら一発でわかるような小さな地域です。小学校まで歩いて30分くらいかかった。僕は、実は本当の両親が誰かわからないんです。物心ついたときは、その小さな町のある家庭にいた。祖父母と母が農業をしていて、父は大きな市まで働きに行っていました。父方の祖父母も同居していて、母はいつも遠慮がちだった。小学校3年生くらいのときかな、友だちが『おまえ、もらわれっ子なんだってな』と突然、言い出した。家に帰って母親に聞いたら、『何を言ってるの、お友だちにからかわれたのよ』と。畑から帰ってきたじいちゃんにも聞いたんです。そうしたら『そうだよ』って」

 祖母が母に向かって「だからバレるって言ったでしょ。あんたがいけないのよ」と怒鳴っている。母は泣いていた。まだ幼かった浩也さんには何が起こっているのか、よくわからなかった。

「父が帰ってきてから、大人たちは話し合ったんでしょうね。翌日の夜、珍しく夕飯時に父もいて、祖父母と両親、親戚の叔父叔母たちが顔を揃えていた。そこで、僕が両親の本当の子ではないことを知らされました。本当の親は母方の親戚で、その夫婦は離婚し、それぞれ再婚した。だからこの家に引き取られたんだと。祖母が『好色な血を引いてるんだよ』と小声で言ったんです。コウショクってなんだか当時はわからなかったけど」

 そのとき、かすかな記憶がよみがえった。3歳になるかならないかのころ、誰かに連れられてこの家にやってきたような……。それまで住んでいたのはもっと明るくて大きな町だったのではないか。そう言うと母が『覚えているのね』と涙を流した。

「両親は職場で知り合って結婚したようです。実は母も家庭運のない人で、高校を卒業すると同時に自分の親をいっぺんに事故で亡くして……。頼りは父親だけだったみたいです。ところが結婚して父の家に入ったら、家事と畑仕事に忙殺されて体を壊した。もともとあまり丈夫ではなかったみたいですね。子どももできなかったので、肩身の狭い思いをしながら暮らしていた。そこへ親戚の離婚があって、思わず自分が引き取ると言ってしまった。父も祖父母も大反対したけど、母はそのときだけは頑固に自分を貫いた。家を出てもいい、離婚してもいい、この子は自分が育てると言い張った」

 母は22歳のときに7歳年上の父と結婚し、2歳半だった浩也さんを引き取ったのが27歳のとき。以来、確かに母にはかわいがられた。小学校に上がってからも、毎日、通学には母が付き添ってきた。さすがに半年ほどたったころ、教師からひとりで来るようにと言われたが、母は「小学校1年生が歩く距離としては長すぎる。道中、寂しい場所もあるから心配」と学校に掛け合った。もっと遠くから徒歩で通っている生徒もいたのだが、母は彼らと一緒に通うことについては拒否し、自分が付き添うと言い張った。

「2年生になったとき、もっと遠いところからの子がうちに寄ってから一緒に登校するようになりました。実はその子が、おまえはもらわれてきたと言ったんです。母は僕の出生がバレるのが怖かったのかもしれない」

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