ロシア「お膳立て」取材ツアーに唯一参加した日本人ジャーナリストが見たものとは

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マリウポリの港は業務を再開している

 廃墟というイメージの強いマリウポリだが、港を管理するディレクターによると、港は5月24日から業務を再開している。現在ここでは約130人が働いている。ロシアから来た3人のトップマネージャーをのぞき、すべて地元の人だ。ディレクターは、まだ本格稼動ではないため以前に比べて労働者の数は少ないが、規模を戻していきたいと話す。

 現在、港は建築労働者が住む家を作るための建築資材を運び入れている。市民にとって港の再建は、町の再建につながるものだ。ディレクターは、貨物港としての役割だけでなく、近い将来にはクリミア半島と結ぶ観光船が寄港できるようにしたいと話す。

 船に乗ってアゾフ海から陸を眺めると大きな白い建物が見える。これは輸出用の小麦を保管する倉庫だった。戦闘時、建物の最も高い部分にウクライナ軍のスナイパーが潜伏していたため、ロシア軍が建物を攻撃し、巨大な穴が開いたという。

 港を離れて海岸沿いの道をバスで走ると、たくさんの市民が気持ちよさそうに日光浴しているのが見える。その隣には焼け焦げた建物がある。爆撃の爪痕も、すっかり日常にとけこんでいる。

日常を取り戻そうと努める住民たち

 戦火が過ぎ去った町で、人々は文化的な生活を取り戻そうと努力している。マリウポリには電気も水もないが、劇場では、9月の新シーズンに向けて舞台稽古が行われていた。発電機のおかげで舞台上だけは明るい。観客席でリハーサルを鑑賞していた2人組の60代女性に話を聞いた。

 どんな支援が必要か聞くと「ありがとう、でも何もいらないわ。一番ひどい時は過ぎ去った。あとは再建していくだけ。見て、今日の私の服なかなかいいでしょ。最近ようやく、おしゃれして出かけようという気持ちになれたの」と言う。観客席は真っ暗なのでよく見えないのだが、女性のワンピースが白地に花柄の華やかなものであることがわかる。

 もう一人の女性は、避難しなかった理由について「他の町で私のことは誰も必要としていないわ。私にとってこの町こそが必要なのよ」ときっぱり。

 舞台女優の母と一緒に来た8歳の男の子と仲良くなった。学校が爆破されて隣の学校へ転校したこと、兄弟は国外へ避難し自分は両親と一緒にマリウポリに残ったことを話してくれた。「スシが大好き」と言うその子は、日本の話を聞きたいとせがみ、ロシア兵からもらったチョコレートを私にプレゼントしてくれようとした。

 劇場では全員とゆっくり話す時間がなく、杖をついた劇団最高齢の88歳の女優は「あなたとお話ししたかったわ、またいらしてね」と名残惜しそうにほほ笑んでくれた。白髪の髪を長く伸ばし、とてもエレガントだ。

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