ロシア「お膳立て」取材ツアーに唯一参加した日本人ジャーナリストが見たものとは

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アゾフ大隊のメンバーが生活していたスペースにはあらゆるものが散乱していた

 地下室では、アゾフ大隊のメンバーと市民が共同生活していた。地下への階段の周辺にはジャケットやズボン、靴、薬、コットンパフ、未開栓のペットボトルなどがこれでもかと散乱していた。傷の応急処置をするセットも大量に放り出されており、「1990年製 価格:41コペイカ」と書いてある。

 階段を降りていくと強いカビの臭いがするが、こちらはすぐ慣れて、気にならなくなった。生活スペースには冬物の衣類が散乱し、大量の紅茶が放置され、食べかけの料理はカビで真っ白になっていた。ベッドの下には乾燥マカロニやフライパンが残されている。

 1段ベッドから3段ベッドまであり、寝床はそれなりの広さがある。物が散乱してさえいなければ、わりと快適に寝泊まりできそうな印象を受けた。中にいた人々が出てくるときに急いで荷物をまとめ、更にロシア軍が中に入ってきたとき室内の危険物を捜索したため、今では足の踏み場もないほどぐちゃぐちゃになっている。

 ウクライナ語で「ロシアのタコ、行動中」と書かれた本を見つけた。本のサブタイトルは「ウクライナのケース」。ロシアがタコのように、ウクライナやバルト3国など、近隣諸国に触手を伸ばしている、と批判する内容だ。アゾフのメンバーの顔とニックネームを記したプラカード、ウクライナカラーのリボン、アゾフのシンボルをあしらった風船なども残されていた。

アゾフスタリ製鉄所内の通路は複雑に入り組み、見取り図も存在しない

 壁にはゼレンスキー氏のイラストが貼られており、額のところにはダーツに見立ててドライバーが打ち込まれている。潜伏していたウクライナ兵が政権に不満を抱いたのか、アゾフスタリ制圧後にロシア兵がいたずらのつもりでやったのか、真相はわからない。

 このような部屋は広大な敷地内にいくつもあり、部屋と部屋が地下でつながっているが、記者団に公開されたのは、安全が確保された一室のみ。通路が複雑に入り組み、正確な見取り図が存在していないため、中の地雷や爆発物を全て撤去するには途方もない時間と労力がかかる。

 特に、閉まっているドアは絶対開けないようにと厳しく注意を受けた。ドアを開けると爆発する仕掛けになっている場所がいくつもあるため、爆発物を無力化したドアにはバツマークをつけ、区別している。アゾフスタリは取り壊される公算が大きいが、いずれにしても、危険物を除去しないことには始まらない。

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