ロシア「お膳立て」取材ツアーに唯一参加した日本人ジャーナリストが見たものとは

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ウクライナ侵攻前からロシア国営メディアで勤務

 6月中旬、ロシア国防省が主催するメディアツアーが行われた。行き先は、ウクライナ領内のロシア支配地域だ。親ロシア派が一方的に独立を宣言した“ルガンスク人民共和国”と“ドネツク人民共和国”に加え、メリトポリなど南部の町を巡るというツアー。そこに日本人として唯一参加したのが、侵攻前からロシアの国営メディアに勤めるジャーナリスト、徳山あすか氏だ。

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 もちろん、ツアーの性格を考えれば、すべてはロシア側のプロパガンダに過ぎない、という見方も可能だろう。それでも今回はあえて、ロシア側から見たウクライナ戦争、つまりプーチンが世界に見せたかった光景を、そのまま掲載する。そこから何を読み取るかは、賢明なる読者の皆様に委ねたい。

 以下は徳山氏による、その貴重な従軍記である。

呼吸をするだけで、最近までそこに遺体のあったことが分かった

 絶え間なく砲撃が続くドネツク市内から約2時間かけて、バスでマリウポリ市へ向かった。目的地はアゾフスタリ製鉄所。5月16日から20日にかけてアゾフ大隊を含むウクライナ軍2439人が投降して捕虜となり、長期にわたった攻防は終焉を迎えた。

 私たちは激しい戦闘が行われた長大な橋を延々と歩いた。人間一人を平気でのみ込んでしまうような大穴がいくつも開いている。足元をよく見るよう注意されるが、橋の両脇に瓦解した工場群が続いているため、ついつい気を取られてしまう。

 橋を渡り終えると、そこには救急車と給水車の姿があった。気分が悪くなるかもしれないからと、あらかじめ手配されたものだ。この日の気温は30度を超えており、痛いほどの日差しが照りつける。ほんの少し呼吸するだけで、最近までここにたくさんの遺体があったことがすぐわかる。息をすればするほどその空気が全身を包む。広大な敷地のどこを歩いても「それ」からは逃れられない。

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