“感情も表さず、声も出さない”ベッドの上のわが子が発した「メッセージ」 呼吸も排尿もできない子を持つ母の回想

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呼吸も排尿もできない子を持つ母が回想するあの日のこと(下)

(上)から続く 

 絵里さんに、麻酔から一気に覚醒したかのような感覚が走った。と同時に、香奈ちゃんが置かれた現実の厳しさを悟った。高度医療機関からNICUの医師と救急車が到着し、搬送先で脳のダメージを抑える低体温療法も行われたが、脳内出血があることがわかると治療は停止された。【中西美穂/ジャーナリスト】

「こうして私と奈津実は香奈と別れ、バラバラになりました。帝王切開の痛みもあって体は大変でしたが、少しでも香奈の傍にいたかったので、入院先の医療機関に奈津実と2人で転院させてもらいました。しばらくして主治医から呼ばれ、香奈の症状を聞きました。渡された紙にあったのは、“重度脳性麻痺”という記載でした」

 数日後、絵里さんはドクターに呼ばれこう通告された。

「今後も自分で呼吸をすることは難しいでしょう」

 筆者である私自身も、絵里さんと同様の経験をしている。生まれた子どもの障害について告知された際、生きてきた中で出会ったこともないワードを受け入れるどころか想像さえできず、思考停止の状態に陥った。その後、ボディブローのように襲い来る厳しい現実に対応するだけで精一杯になる。絵里さんも同じ状況だったと話す。

 やがて絵里さんと奈津実ちゃんは退院し、夫の明さんと3人の生活が始まる。香奈ちゃんは在宅での暮らしは厳しい、要するに「生死の境にある」と判断され、NICUに入ったままとなった。

「なんでこの子、助かったんかな、助からなかったほうがよかったのではないかって、家に帰ってもそのことばかり。『けいれんがあるから、新生児には使わない強い薬を使います』とか『おしっこが自力で出せないから大変』とかいろいろ言われて……。子どもの最善の利益って何なんでしょう?」

 これまで香奈さんの心は揺れ動いてきた。

「いっぱい薬を入れて劇的によくなることもないし、ただ単に医療で乗り切るのはどうなのかって。あれこれしないと助からない命だったら、そのままで生かしてあげるのがいいのではないか、助からないのであれば無理に医療を使って助けないでほしいって、当時はそう思っていました」

 自発呼吸がなく、生後1カ月で気管切開の手術をすることになった香奈ちゃん。

「私は麻酔科の先生に聞きました。『全身麻酔の同意書ですか? 何をしても脳波が平坦な子に麻酔をかける意味はありますか? 痛みも何も感じないのなら、麻酔をするメリットはありますか? 逆に麻酔をすることでのデメリットは?』。この子に対して、してあげたほうがいいことと、しないほうがいいことが分からないと……。もうどうにでもなれって。注射されても浣腸されても表情ひとつ変えないんです。刺激も痛みも何も感じないんだろうって思って」

 ベッドの上の香奈さんは、喜びも悲しみも、どんな感情も表しはしない。声も発しないのだから、こちら側が気持ちを汲み取る必要がある。せめて“しぐさ”が見えればいいものの、わずかにさえ動かない。「絶望の育児」が続いた中で、しかし、“柔らかな光”が射した。それは香奈ちゃんが発する、いや、香奈ちゃんしか発することができないメッセージだった。

「気管切開の手術後、麻酔が切れた香奈が顔を真っ赤にして、そして心拍数も上げているのを目の当たりにして、『あっ、この子は生きているんだ』って感じたんです。私は『この子は今、快適であるべきだ』と思うようになってきました。連れて帰りたいと強く思うようになった。命を永らえるより、今をどう生きるか、それが大事じゃないかという視点に変わってきました。人工呼吸器もつけている、多くの管が体にまとわりついている。だから安全のためを考えて抱っこしないよりも、やっぱり抱っこしてやったほうが絶対いいに決まっている」

 絵里さんが、香奈ちゃんを抱っこしたのは生後25日目だった。

「香奈の体調が安定せず、在宅での生活はなかなか実現させられませんでした。時間があれば考えることはひとつ。これからどうなるんだろう、私たちの生活は。どうなるのだろう、香奈の命は。そればっかり。姉である奈津実の存在だけが救いでした。奈津実の育児に没頭することで現実に呼び戻された。すごくしんどい時でも、奈津実がいてくれたのは大きかった」

 香奈ちゃんは生後約半年にわたる入院期間を経て退院し、ようやく一家4人での生活がスタートした。

「香奈との生活は、望んだものとはいえ想像以上に大変でした。口から食べることができず、チューブで鼻から栄養を摂っているせいで、その管理に追われます。気管切開しており、自力では痰が出せないので、吸引も必要になってきます。人工呼吸器のこともあり、香奈をひとり残しては外出もできません。こうなると、奈津実を外に連れて行ってやることもあまりできない。実家も遠くて頼れません。いえ、実は頼れる状況になかったのです」

 香奈ちゃんを巡って、実母と軋轢が生じた。絵里さんを思ってのことだったのだろう実母の言葉に、絵里さんは傷ついたのだ。

「母はもともと看護師として働いていたので、こういった子を介護する負担を身をもって知っています。だからでしょう、『香奈を家に連れて帰るのはやめなさい』と猛反対されたんです。『いずれ家を売らなければいけなくなる、こんな状態では仕事もできない、早く施設を探せ』――そればかりで、親子関係も決裂しました。どうして子どもを受け入れずに否定するのか、なぜ私たちの生活を認めてくれないのか。当時の私は、ますます追い込まれました。そして考えました。なぜ香奈は助かってしまったのかと」

 しかし一方、周囲の人々に助けられ、勇気づけられたことも大いにあると話す。

「ある育児サークルに連れて行った時に、スタッフの方々から『お母さん、ここではやってはいけないルールがあるの』って言われて、『あっ、こういった子を連れてくるのは難しいのかな』って思ってたんですが、そのスタッフの方は続けてこう言ったんです。『“ごめん”って言うのは禁止。お母さん、“ごめん”って言いすぎ。身に染みついてる』って。私も気づいていなかったのですが、香奈は人の手がないと生きていけないし、移動するにも何かしら人の手が必要だから、“すみません”ってよく言ってたなって。あれ以降、ここのみんなに香奈の存在を認めてもらえたなって、私の勇気になりましたね」

 絵里さんは、もう悩むのは辞めようと決意した。わが子に快適に過ごさせてあげること、いろんな経験をさせてあげること。それを考えようと決めた。そこからの絵里さんの行動力には目をみはる。呼吸器をつけた香奈ちゃんを地域の育児サークルに連れて行き、みんなに知ってもらうよう努めた。理解ある上司と職場に助けられ、香奈ちゃんを連れての職場復帰まで果たした。

「当初は仕事を辞める気でした。いや、辞めざるを得ないと思っていました。ところが上司の取り計らいで、職場復帰を果たすことができたのです。私の勤務先は、たまたまなのですが、障害を持つ子どもの療育施設でした。私は朝、香奈を伴ってそこに行きます。香奈は私が担当するクラスとは違うクラスで療育を受けています。仕事は時短で、2人で一緒に帰宅します。本当に、上司や職場に恵まれたからできることです。普通なら、こういった子を抱えて仕事になんて出られません」

「家族で助け合うべき」「おじいちゃんおばあちゃんに頼るべき」――。行政はいまだに、そうした古くさい考えのもとで、家族支援を基軸として考えるきらいがある。しかし、現実的に難しい面は多いにあるはずで、結果、母親が犠牲となりがちだ。障害児家庭の母親の就労の難しさは社会問題である。

 理解ある会社にサポートはしてもらったが、やはり不安はつきまとう。

「正直、いつまで続けることが可能なのか。本音を言えば、私自身も香奈と常に一緒にいることで、少し疲れてしまったところもあります」

 絵里さんは、ある大きな決断をした。香奈ちゃんを保育園に入園させるのだ。市役所に話をした時は驚かれた。絵里さんは香奈ちゃんを連れて市役所に通い、理解を得ようとした。それは単に就労の問題だけではなく、香奈ちゃんが“地域”で生きていってほしいという思いも強くあったと絵里さんは話す。

「就学後のことを考えると、地域の保育園に入っておくのが重要かなと思ったのです。香奈を見てくれている職場は自宅とは別の市にあります。やはり本来は、住まいのある地域で日常を過ごしたほうが香奈のためにもなり、いずれ就学もスムーズに行くのではないかと思い、行動に移しました」

 絵里さんが市役所に連絡したところ、「まずは入園申請してください。そこからの待機となります」などと一般的な事柄を告げられたあと、「設備面や人員配置のこと、受け入れる意向があるかなどは役所では分からない。各保育園に問い合わせるように」と言われた。そこで香奈さんは、市内の保育園に問い合わせをした。

「私立、公立を問わず、片っ端から電話をかけました。『そういった子をみたことがない』、『医療的ケアを扱える看護師がいない』と断られた園もありましたが、一方で『香奈ちゃんはケアが必要なだけで、みんな同じ。子どもは子どもの中で育つべきだ』って言ってくれて、『看護師さえ手配できたら検討できるんですが』と話してくださった園もありました。その後、看護師免許を持っている友人に香奈の保育園入園についてたまたま話していたところ、『私が働いてみようかな』と言ってくれたのです。こうしてこの春から保育園に入ることができました。香奈のことを知っていただかないと何も変わらない。知ってくださることがインクルーシブ(「みんな一緒に」の意)につながるきっかけになる。今回のことから改めてそう思いました」

 2021年秋、医療的ケア児支援法(医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律)が施行され、各自治体の保育園は医療ケアを必要とする児童の受け入れを義務づけられた。そうした背景には、彼女をはじめとした母親、家族たちのソーシャルアクションがある。

 つい先日、保育園の入園式があり、香奈ちゃんも家族と一緒に参加した。奈津実ちゃんとともに絵里さんは、晴れて式典に臨む香奈ちゃんを見た。

「ようやくここまでこられた。その思いに尽きます。実際の保育スタートは少し先になりますが、今、保育園の先生方と、香奈が通う療育施設の先生方とが連携をとってくださり、よりよい保育園生活を送れるようにと環境整備をしてくださっているところです」

 絵里さん話のぶりは朗らかだ。しかし、言葉を選ぶように、うつむき加減でつぶやいたことに、本質が映し出されているのではないかと私は思った。

「表向き私も、香奈を社会に受け入れてもらうために……子どものために努力はいとわないし……いろいろやってきました。でも、ふと思う瞬間があって……。社会は受け入れようとしてくれています。でも、実際に受け入れていないのは、私自身なのかもしれません。娘と生きていくことは受け入れました。でも、それはあくまで、絶望と諦めの中で受け入れたに過ぎないのかな、果たしてそれは、受け入れたことになるのかなって」

中西美穂(なかにし・みほ)
ジャーナリスト。1980年生まれ。元週刊誌記者。不妊治療で授かった双子の次男に障害が見つかる。自身の経験を活かし、生殖医療、妊娠、出産、育児などの話題を中心に取材活動をしている。障害児を持つオンラインコミュニティ・サードプレイスを運営。

デイリー新潮編集部

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