「ママ、ごめんね――」天国へ旅立つ前に7歳の息子が母親と交わした会話

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 映画「おくりびと」で広く知られるようになった納棺師。亡くなった方の身体を整え、お化粧を施し、納棺の前に身支度を整えるのが主な仕事だ。

 これまで4000人以上の死のお見送りに携わったプロの納棺師・大森あきこさんが経験した多くのご遺族のお別れを振り返り、ご遺体との最後の時間を心残りなく過ごしてほしいという願いから執筆した『最後に「ありがとう」と言えたなら』から一部抜粋し、ベテラン納棺師が涙した実話をお届けします。

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小さなお棺の中にいる息子さん

 死別に直面したご遺族の悲しみは、はかり知れないものがあります。

 悲しんでいる人のそばにいるのはつらいことです。しかし、私たち納棺師はお別れの場でご遺族のお手伝いをすることが仕事です。そばにいる覚悟を持たなくてはならない。そうは思っていても、胸が痛み、逃げてしまいたくなるほどの悲しみに触れてしまうこともあります。

 もうだいぶ前の話ですが、7歳の男の子を亡くされたご遺族がいました。

 ご自宅におうかがいした時はクリスマスの時期で、お部屋の中には小さなクリスマスツリーが飾ってありました。整理整頓されたお部屋には子供たちの写真がたくさん飾ってあり、亡くなった男の子の妹さんが、リビングのテーブルでジグソーパズルをしています。

 納棺式ではお父さんがテキパキと対応する中、お母さんは息子さんのお気に入りのアニメ・キャラクターのぬいぐるみを抱えたまま、動きません。まるで私の声も聞こえていないようでした。

 息子さんは今にも寝息をたてそうなかわいらしいお顔でお布団に寝ています。パジャマ姿で横たわる姿は、同じ年齢の子供よりも小さく見えます。お着せ替えをして顔色に赤みを足し、みなさんに顔を拭いてもらう間も、お母さんは無反応、無表情でした。

 お父さんに手伝ってもらいお棺の中の布団に息子さんを寝かせると、お父さんは涙を堪えきれなくなったようで、席を外してしまいました。

 自宅マンションでの納棺でしたが、外の世界とは遮断されたように本当に静かでした。まだ幼稚園に行き始めたばかりぐらいの妹さんも、何かを感じているように静かに遊んでいます。

「ママ、ごめんね」

 小さなお棺の中にいる息子さんを見ながら、お母さんが唐突に話をはじめました。

 男の子は、生まれつき心臓に病気があり、手術や入退院を繰り返していました。息子さんが亡くなる数日前にお母さんに言った言葉は、

「ママ、ごめんね」

 泣きたいのは母親の自分ではなく、病気と闘っている子供の方。そう思って、それまでどんな辛い時も泣くことがなかったお母さんも、その時は息子さんを抱きしめて初めて声を出して泣いたとおっしゃっていました。

 納棺式で、小さな冷たい手を両手で包みながら、7歳の子にそんな言葉を言わせてしまった、と肩を落とされていた姿が忘れられません。

「お子さんもお母さんもすごく頑張ったんだ」──私はそう感じたのに、口に出して、そんな軽い言葉をかけたくなかった。どんなに探しても私の中にはふさわしい言葉が見つからなくて、結局、そばにいることしかできませんでした。

 最後の会話は残された人にとって忘れられない言葉になると思うのです。納棺式で話をうかがっていると、時々こんなふうに最後の会話を教えていただけることがあります。

亡くなった方への思いが詰まった言葉

 普段、私たちはたくさんの言葉を使い、たくさんの人とコミュニケーションをとります。でも最後の会話は、必死に伝えたい言葉と必死に受け取りたい言葉が交差する瞬間なのかもしれない。そして、亡くなった方を前にして、自分の思いを伝えることも大切だと日々感じます。亡くなった方の、お体、お顔を見て伝えることができる時間は限られているからです。

 今までご遺族の口から聞いた、亡くなった方への言葉は数えきれません。

「ありがとう」「愛してる」「お疲れ様でした」「頑張ったね」「しばらく待っててね」「またね」……そこにはたくさんの思いが詰まっています。

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※『最後に「ありがとう」と言えたなら』より一部を抜粋して構成。

大森あきこ(おおもりあきこ)
1970年生まれ。38歳の時に営業職から納棺師に転職。延べ4000人以上の亡くなった方のお見送りのお手伝いをする。(株)ジーエスアイでグリーフサポートを学び、(社)グリーフサポート研究所の認定資格を取得。納棺師の会社・NK東日本(株)で新人育成を担当。「おくりびとアカデミー」、「介護美容研究所」の外部講師。夫、息子2人の4人家族。

デイリー新潮編集部