日本人の「未熟萌え」の源流は宝塚? 恋愛禁止ルールはいかにして作られたか

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 近頃のアイドルは幼くて判別できない――。そう嘆く向きもあるだろうが、振り返れば宝塚歌劇団からジャニーズ、女性ユニットまで、人気者はいつも「未熟」から始まっていた。先頃『「未熟さ」の系譜』(新潮選書)を著した気鋭の社会学者が、日本文化の核心に迫る。【周東美材/大東文化大学准教授】

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「宝塚歌劇団」というと、どのようなイメージが浮かぶだろうか? 男装の麗人、大階段やラインダンスのスペクタクル、きらびやかな衣装やメイク、「清く正しく美しく」の標語――実際に舞台を観たことがなくとも、これらのイメージは容易に想起できるだろう。

 しかし、現在のようなレビュー形式のパフォーマンスが確立するのは、1930年代以降のこと。それ以前の宝塚が「少女歌劇」と呼ばれ、学芸会にも似た演目を上演していたという事実は、あまり知られていない。

欧米からは理解不能な「恋愛禁止ルール」

 設立当初の宝塚は、まさに「未完成であること」の魅力を第一とする歌劇団だった。そして、この時期の方針こそが、宝塚が「独身女性だけの歌劇団」となった理由や、「男役」が誕生した理由を解き明かすカギなのである。さらには、初期の宝塚が、現在の日本の芸能界の独自性をつくったと言ってもいいだろう。

 海外からはよく「なぜ日本では子どもが歌い踊ることがショービジネスの中心になっているのだ」といった疑問を投げかけられることがある。ジャニーズやAKB48等のアイドルが、欧米から奇異の目で見られることも少なくない。個人の恋愛を禁止するといったルールも理解不能のようだ。

 また、芸能事務所が経営する養成所でタレントを育てるというシステムも、日本では独特の発展を遂げてきた。

 これらさまざまなことの源流をたどると、設立時の宝塚少女歌劇に至る、というのが筆者の結論である。それは、「未熟さ(少年少女の成長途上ゆえの可愛らしさ)」を基調とする日本独自の芸能様式の先駆だったともいえる。その秘密を解き明かしていこう。

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