日本人の「未熟萌え」の源流は宝塚? 恋愛禁止ルールはいかにして作られたか

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恋愛禁止の元祖

「少女たちは職業的な演技者ではなく、あくまでも生徒である」という建前は、従来の演技者、とりわけ「女優」との差別化を果たすうえで重要だった。当時、女優という職業は、スキャンダラスなもの、性的なもの、卑しいものとしてさげすまれることが多かった。たとえば、「カチューシャの唄」のヒットで一世を風靡した女優・松井須磨子は、既婚者である演出家の島村抱月と恋愛関係にあったためにバッシングにさらされていた。女優は、主婦のように家を守る女性とは違い、社会の規範から逸脱するイメージをしばしば含んでいたのである。「家庭向け」を強調する宝塚は、こうしたイメージが少女たちに向けられることを回避する必要があった。そこで、彼女たちは女学生のように良家の出身で、セックス・アピールを伴わないというイメージを前面に打ち出したのである。

在籍中は結婚しない鉄の掟

 宝塚歌劇団の有名な標語に、「清く正しく美しく」がある。これは、独身の女性だけを演技者とする宝塚のコンセプトを表現したものとして理解されているが、この標語が成立するのは、1933(昭和8)年ごろのことだ。代わりに、初期の宝塚少女歌劇を形容するキーワードとして頻繁に用いられたのは、「無垢」「無邪気」「可愛い」「あどけない」「素人」「幼稚」「子どもらしい」「家庭本位」そして「未熟」であった。

 厳しい規律を守り、「清浄無垢高潔なる処女」として家族みんなで観劇できる対象であり続け、いつまでもプロっぽさに染まらない、健全な少女グループ――。そのためには、恋愛や結婚といった成熟した女性を感じさせるイメージはご法度だった。実際、創立から現在に至るまで、在籍中には結婚しないことがタカラジェンヌの鉄の掟となってきた。この点も、現代の女性アイドルグループの「清純派」「恋愛禁止」の起源といっていいだろう。

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