名投手「サイ・ヤング」の知られざる実像に迫る コントロールは天性? 努力の賜物?(小林信也)

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 ダルビッシュ有、大谷翔平らが今季こそサイ・ヤング賞を取れるか? そんな話題が時々語られる。サイ・ヤング賞は言うまでもなく、両リーグの投手から一人ずつ選ばれる、いわば最優秀投手賞だが、ヤングがどんな投手だったか、実像はあまり知られていない。

 確かな事実は通算511勝、歴代最多勝。金田正一の400勝をはるかにしのぐ大変な記録だ。

 私はわりと軽い気持ちでヤングの投手像を調べ始めた。すると、案外手強い相手とわかった。ネットの基本情報で詳細がわからず、日本語の伝記も見つからないのだ。本腰を入れて調べ始め、ようやく少しずつヤングの面影が浮かび上がってきた。

 比較的新しいところでは、伊東一雄が「週刊ベースボール」(1997年12月22日号)に書いている。

〈1903年、ア・リーグのボストン・ピルグリムズ(現レッドソックス)が優勝し、ナのピッツバーグ・パイレーツとの史上初のワールド・シリーズがスタートしたとき、その第1球を投じたのがヤング。

 彼の全盛時代の手紙によれば、武器は「ドロップ・ボール」だったという。あの沢村の、「懸河のドロップ」と相通ずるものがある〉

 決め球がドロップ(縦のカーブ)というのは興味深い。沢村栄治や金田も同じだ。現代のフォークボールや縦のスライダー同様、落ちるボールは草創期から打者を悩ませていたのだ。

 次に鈴木惣太郎が1929年に出版した『米国の野球』の中に、「名投手サイ・ヤング」の見出しで記しているのが見つかった。

天然的コントロール

〈ボストン、レッドソックスの名投手サイ・ヤングは、コントロールのいゝ事に於いて當時令名があつた。一九〇四年五月五日、對アスレティツクスの試合に相手方をノーヒット、ノーランに終らせたが、野手に失策もなく、また彼の絶好のコントロールは四死球をも出さず、一人の走者も一壘に生きる事が出來なかつた〉

 この表現を見ると、まだ「完全試合」という概念が日本になかったと推察される。ヤングはこの時、史上3人目の完全試合を達成したのだ。鈴木は、ヤングが無類のコントロールを身に付けた経緯を次のように書いている。

〈サイ・ヤングのコントロールの練習法は、打者の平均身長を土臺にしてプレートの巾を持つ的を作り、其れに向つて獨りで投球を續け、寸暇を惜しんでの非常な精進であつた。(中略)

 コントロールは天輿の武器ではない。何人も不斷の努力と、細心の注意と、長日月の研究の後初めて完成するものである〉

 ヤングの覚醒は、地道な努力の成果だったとしている。努力の強調は当時の世相というか、教育的に野球を啓蒙したい意思の表れかもしれない。というのも、ヤング自身の言葉が1905年出版の『最近野球術』(橋戸信著)にあるからだ。

〈世には天然に此コントロールを得たる者あり、即ち今十人或は十五人の小供を集め、各自に小石を與えて、或目標に當てしめよ。其小供の中には、必ず他の者に秀でゝ、善く其目標を誤まらずして之に當つる者あるを見ん、之れ所謂「天然的コントロール」のある所以にして、從つて此の如き小供は、野球の投手として、成功する事疑を容れざるなり〉

 ヤングが天性のコントロールを認め、天賦の才に深い敬意を示している。それは、周囲が理解してくれないヤング自身の才覚をほのめかす目的だったのか、彼にはなかったために素直な羨望で書いたか、いずれかは判別できない。

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