効率性最優先の時代は終わった? 求められる新たな国家像とは

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 この2年余り、日本社会は激しく動揺し、迷走を続けた。だが、その真因は新型ウイルスではない。30年以上にわたり、目先の利益を追い続けてきた我々自身の浅薄さがもたらした必然的な混乱だったのだ。「ポスト・コロナ」時代に求められる新・国家像に迫る。

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 コロナ禍で顕在化したのは「日本社会の脆弱性」だ。では脆弱性とは、何か。

 端的に言えば、私たちは「見通しの良い社会」を作りすぎた。その“負の現実”が、新型ウイルスによって浮き彫りとなったということだ――。

〈こう分析するのは、近代日本思想史を専門とする日本大学危機管理学部の先崎彰容教授だ。

 40代の気鋭の論客として知られる先崎教授は、2011年当時、福島県いわき市にある私立大学に勤務していた「3・11」の被災者である。以来、国のあり方を問う論考を発表し続けてきた先崎教授が、コロナ禍において、改めて明らかとなった“日本の病巣”を斬新な視点で読み解く。〉

「見通しの良い社会」の話に入る前に、今の社会をどう見るか。現代日本を診察しておきたいと思います。一言で言えば「短期的な成果」ばかりを求めてきたのが日本の社会です。

「失われた30年」と言われるように、日本が全体として停滞した社会になっていることは、誰もが同意するところでしょう。良く言えば成熟社会、悪く言えば衰退社会です。もうバラ色の成長はかなわない。しかし、1980年代以降も、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の成功体験から抜け出せなかった。新自由主義経済、すなわちグローバル化を追いかけ続け、短期的な成果を目指した。

簡単に成果を上げるのが賢く見える社会

 象徴的だったのは民主党政権時代の「事業仕分け」です。これが極めて短期的な視点で、細かい数字をいじって成果が上がったように見せるパフォーマンスに過ぎなかったことは改めて説明するまでもないでしょう。コロナ禍においても、短期的な成果を求めようとする姿勢は全く変わりませんでした。

 例えば、国策として導入されたCOCOA(新型コロナウイルス接触確認アプリ)。多額の税金を投入し、官僚たちが徹夜して必死に作りあげたこのアプリを、果たして今どれだけの人が利用しているか。ほとんどの人は、「あー、そんなものがあったな」という感覚でしょう。付け焼刃で成果(らしきもの)を出そうとした典型的な事例です。

 なぜこのようなことが起こるのか。それは、成長が望めない閉塞した社会状況では、“簡単”に成果を上げることが“賢く”映るからです。

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