効率性最優先の時代は終わった? 求められる新たな国家像とは

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「~からの自由」ではなく「~への自由」

 なぜ、「フリーター」なり「フリーランス」が、自由な存在として強調されてきたのでしょうか。それは、自由と民主主義同様、戦後の日本では個人主義が絶対善として位置付けられてきたからです。そこには、人間は生きる時代と場所に制約されざるを得ず、絶対的な自由などないという当たり前の認識が決定的に欠けていました。その結果、「~からの自由」を絶叫して、どこともつながっていない不安定な人たちが多く生み出され、畢竟(ひっきょう)、社会全体が不安定化したのです。

 コロナ禍で顕在化したのは、こうした人たちが雪崩を打って失職した姿ではないですか。耐性の弱い体づくりを、日本はしてきた。そして危機に陥ると、彼らは「国家」に縋(すが)りついてきた。今まで見向きもせず、権力批判ばかりしてきた、当の国家に対し、「やはり保障せよ!」と迫る人たちもいた。

 しかし、高度成長時代でもバブル時代でもない現代は、国や組織に不平不満をもらし、批判していれば事足りる状況ではありません。なにしろ、コロナ禍のひとり親家庭に代表されるように、国や組織の保護を必要とする人たちが多数いる時代なのです。組織やなにがしかの共同体に所属してこそ安定し、得られる「自由」があります。“逃走”とは正反対にひとつの立場・環境を“求め”、あるいはそこにくみすることで得られる、いわば「~への自由」について真剣に考える時代に突入しているのではないでしょうか。「~からの自由」を希求し、しがらみのない立場だからこそ創造的な発想ができるのではない。現代においては、「~への自由」という精神的な安定があってこそ、それを基盤とした個性が花開き、新鮮な発想が生まれるのではないかと思うのです。

戦後続いた「平時」はむしろ異常時

 こうして見てくると、個人主義、経済成長、自由、民主主義、あらゆる意味において日本の戦後アイデンティティーが賞味期限切れであることは明白に思えます。したがって、新たなアイデンティティー、すなわち国家観・国家像が求められるわけです。

 戦後77年、私たち日本人は極めて特殊で、例外的な時代を生きてきました。より正確に言えば、2011年までの戦後66年と言えるかもしれません。この間、つまり「3・11」が起きるまで、私たちは日本の存立が脅かされるような事態に遭遇することがありませんでした。平時が続いていたわけです。ところがこの平時は、近現代史的に見れば実は異常時なのです。

 年表を振り返ってみます。1914年に第1次世界大戦が勃発し、終戦の年である18年からスペイン風邪が大流行して、23年には関東大震災、29年には世界大恐慌、37年には盧溝橋事件……。だいたい3年から5年の間に1回は、国を揺るがす事態が起きている。つまり、戦後66年間の平和は極めて例外的なものだったに過ぎないのです。

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