効率性最優先の時代は終わった? 求められる新たな国家像とは

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3~5年に1度は「異常事態」が起きる世界に?

 その例外的な平和時代は過ぎ去り、「3・11」が起き、新型コロナウイルスが襲いかかってきて、日本も今後はかつての状態、つまり3年から5年のうちに1度は存立危機にさらされるという「異常事態」が起きることが「通常状態」であるという時代に戻るかもしれない。戦後66年の「例外的平時」は終わり、起きてほしくはありませんが、首都直下型地震なのか、中国の侵攻なのか、株価大暴落なのか、命の危険を感じるような事態が断続的に起こり得る時代を私たちは今迎えている。すなわち、「3・11」が戦後の終わりを告げ、コロナ禍もその一環にある、私はそう捉えています。そう考えると、戦後アイデンティティーに代わるものが求められていることの喫緊性が理解できると思います。

住宅ローンにおける価値観

 そして私は、「尊厳とコモン・センス」こそが、令和の国づくりの基礎であるべきだと考えます。

 この場合の尊厳とは、個人主義に基づいた「私を尊重せよ!」という類のものではありません。そうではなく、先に述べた不自由化とは対照的な、他者から役割を与えられ、承認されることによってもたらされる心の安寧を意味します。

 コロナ禍では、肉親の死に際しても最期に立ち会うことができず、亡きがらに触れることさえ許されないケースがありました。そして、専用の袋に入れられて火葬される。私たちはこれを酷いと感じます。なぜか。それは何よりも人間が尊厳を持った生き物だからです。

 そして、経済合理性を価値基準とする戦後アイデンティティーでは尊厳は得られません。なぜなら、自由と民主主義に加え、個人主義と経済成長を“教義”としてきた戦後アイデンティティーは、端的に言えば「カネ」を全ての価値基準にしているからです。

 学生時代の友人である銀行マンにこう言われたことがあります。

「先崎くん、月額6万円で35年の住宅ローンを組むなら、15万円で20年にしたほうがいい。その分、利払いが減るからさ。実質的に100万円得するぞ。月額6万円は損しかしない。ナンセンスだ」

 私はこう答えました。

「それは一つの価値観に過ぎない。100万円損するかもしれないけれど、低額をゆっくり返していったほうが、精神の安心を買うことができる。カネよりも心の安定が大事なこともある」と。

 カネの損得は「絶対的な価値観」ではない。「ひとつの価値観」に過ぎないのです。カネに照らして全てを考えようとする姿勢を改めるべきなのです。その上で、先の意味での尊厳を軸に置かない限り、「効率的であることが絶対」であり「目先の成果」「損得勘定」を追う事態が続くことになるでしょう。

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