プーチン、150人スパイ粛清で権力基盤は崩壊寸前 諜報機関トップの“合成動画”を敢えて流した狙い

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プーチン大統領は権力闘争中!?

 同年末、当時大統領だったボリス・エリツィン氏(1931~2007)が辞任したことで大統領代行に就任。4カ月後の大統領選にも勝利し、プーチン大統領は“皇帝”となる最初の一歩を踏み出した。

「経歴からも明確に分かりますが、プーチン大統領の権力基盤はKGB人脈であり、FSBは自分の“出身母体”。側近も諜報機関の出身者で固めているとも言われています。いくらウクライナ侵攻に失敗したとはいえ“身内”を粛清するのか、疑問を感じます」(同・記者)

CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)などの著作がある国際ジャーナリストの山田敏弘氏は、世界の諜報機関に詳しい。

 今回の“粛清”報道について見解を求めると、「日本の新聞社がタイムズの記事を紹介したトーンより、事態は深刻だと思います」と言う。

 プーチン大統領は今、権力闘争の真っ最中だという。一体、“クレムリン”の中枢で何が起きているのか──そのことを理解するためには、まずロシアにおける諜報機関の現状を理解する必要がある。

「ロシアにおける諜報機関は、KGBの対外諜報部門を引き継いだSVR(ロシア対外諜報庁)と、1918年に設立されたGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)、そしてFSBが、いわば“三本柱”として機能しています」(同・山田氏)

“プーチン長官”の改革

 ちなみに、1933年から1941年にかけて日本で諜報活動を行い死刑判決を受けたリヒャルト・ゾルゲ(1895~1944)は、GRUのスパイだった。

「海外での諜報活動、つまり一般的な“スパイ”というイメージ通りの活動を行っているのはSVRとGRUで、FSBの主任務は防諜、つまりロシア国内に潜伏している外国のスパイを見つけ、逮捕することでした。そのためFSBは、同じ諜報部門でもSVRやGRUに比べると“格下”と見られる傾向があったのです」(同・山田氏)

 先にプーチン大統領が1998年にFSBの長官に就任したことを紹介したが、山田氏によると、「プーチン新長官」はその際、重要な組織改編を行ったという。

「それまでFSBはロシア国内だけを担当していましたが、プーチン氏の指示により、ウクライナという“外国”を担当することになったのです。ただ、これには彼らしい含意があり、『ウクライナはロシア国内も同然なのだからFSBが管轄すべきだ』という考えを反映させた改革でした」

 確かにウクライナとロシアの関係は深く、例えばキエフ大公国(882~1240)の時代は同じ国だった。

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