浮気を重ねたモラハラ夫、病気を機に改心も… 激変した妻からのあまりに“強烈な”復讐

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突然の病、「今までごめん」と告げると妻は…

 成長していく娘はかわいかった。三歳のときに立派な着物を作ろうとすると朱美さんに止められた。たった1回の七五三にそんなお金を遣わないでほしいというのだ。これに優人さんは激怒した。娘にとって3歳のお祝いは1回だけ、その1回にいい着物を作ってなにが悪い、と。

「そのとき僕が『おまえは貧乏根性が抜けないのか』と言ったらしいんです。僕は記憶にないんですが、のちに妻に言われました。妻の実家は確かにあまり裕福ではなかったので、彼女はいたく傷ついたそうです。でも娘にかけるお金は惜しくなかった」

 お金はかけたが、娘はどこか父親に対して怯えているような気配を見せることがあった。娘には怒鳴ったことさえないのに。だが娘はわかっていたのだ。父が母を労っていないことを、心から愛していないことを。子どもの察知能力を侮ってはいけない。

 だからなのか、娘は高校に上がると海外留学を望んだ。娘かわいさから「絶対にダメ」と断言していた優人さんだが、悩み抜いた末、例の長瀬さんに相談。若くして留学経験のある長瀬さんの妻から話を聞き、留学を許すことにした。

「長瀬さんの奥さんがいろいろ教えてくれました。彼女の親戚にもいろいろ助けてもらって娘は留学することができたんです」

 それからは夫婦ふたりきりの生活となった。相変わらず妻とは没交渉。仕事の合間に浮気を重ねる優人さんの暮らしも変わりなかった。

「ただ、さすがに50歳を目前にするとそんな元気もなくなっていきました。なんとなく体が重いなと思う日が続いたあと、心筋梗塞で倒れたんです」

 元気だけが取り柄だった。健康診断もほとんど受けないまま、仕事に没頭してきた人生だった。それがいきなり会社で倒れた。救急搬送され、治療のため2週間ほど入院、その後はリハビリ病院へ転院して2ヶ月ほどを過ごした。

「なにが起こったのかわかりませんでした。いきなり人生が変わってしまった。早く仕事に復帰したい、仕事をしていない自分は自分じゃないと思っていた。焦りばかりが募りました」

 とはいえ、実際に動くと息切れがしたり動悸が強くなったりする。体が悲鳴を上げていた。ゆっくりリハビリをして社会復帰するしかないのは自分でもわかっていた。それでも焦燥感は募る。

「妻は淡々と世話を焼いてくれました。僕が愚痴っても黙って聞いているだけ。特に励ますわけでもない。ただ、その冷静さに救われました。死ぬかもしれないという状況に陥って初めて、これまでのことを振り返り、妻には申し訳なかったと思いました。ようやく退院が決まったとき、『今まで本当にごめんね。いろいろありがとう』と意を決して妻に伝えることができました。妻はそれに対して『私は自分の立場でできることをしただけ。人としてあなたに心許したことはありませんから』と言ったんです。一気に心臓が止まりそうになりました。結婚して17年ほどたっていましたが、妻の心は僕が思っている以上に固く閉じられていたんです」

 どうして“夫”というものは、妻の心の動きにこれほどまでに鈍感なのだろうか。気遣わなくていい存在だとはなから思っているのだろうか。目の前の優人さんは決して「感じの悪い人」ではないのだが、長きにわたって妻を下に見ていたとわかるにつれ、こちらが冷静ではいられなくなりそうだった。

「あなたといる限り恨み続ける」

 ただ、優人さんが始めに「復讐されている」と言ったことが引っかかる。今、ふたりの関係はどうなっているのか。

「僕はゆっくりと社会復帰しました。ただ、それからは周りの気遣いもあってほとんど内勤となりました。営業に出向いて、あちこちと折衝して仕事を決めていく快感から離れてしまうと寂しくてたまらない。でも働けるだけでもありがたいとここ数年は思っています」

 激変したのは妻だった。

「僕が退院すると、妻は『ひとりで暮らしていけるなら離婚してほしい』と言い出しました。若いころの目の前での浮気、その後のモラハラのことなど詳細に聞かされて、病気が悪化しそうでした。『私はあなたといる限り、このことは恨み続ける。恨まれたくないなら離婚したほうがいいかもしれないわよ』って。脅されているような気がしました」

 ただ、優人さんには離婚の意志はなかった。今からでは遅いかもしれない、だけどこれからは寄り添って生きていきたい。今までのことは本当に申し訳ないと思っているし、感謝もしている。優人さんは頭をテーブルにこすりつけた。

「妻は『わかった』と一言だけ。そして『私はこれから今までの人生を取り返したい。好きなように生きてもいいかしら』と言いました。もちろん、家計も妻に任せっぱなしだし、娘は海外の大学に入学したので費用もかかる。娘に不自由させない範囲なら、きみの好きなようにしてくれていいと言うしかありませんでした」

 妻は以前からやりたかったと陶芸を習い始めた。自分で作った皿に料理を盛る。楽しげにそんな作業をしている妻を見ながら、彼はふと思い当たることがあった。

「病気で倒れてから、妻の料理がとてもおいしいと感じるようになったんです。薄味で食べられないと思っていたのに……。妻はもしかしたら、以前から外食の多い僕のために家での味つけは薄くしていたのかもしれない。それを食えないと言い捨てていた自分が情けなかった」

 優人さんは次々と自分の言動を思い出し、妻に対して心の中で謝り続けた。陶芸を習いに行くだけでなく、妻はスポーツジムにも通い始めたらしいが、何でも好きなことをして欲しい、少しでも楽しい時間を過ごしてほしいと彼は思っていた。

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