浮気を重ねたモラハラ夫、病気を機に改心も… 激変した妻からのあまりに“強烈な”復讐

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 人は自分のケツは自分で拭かなければならない。「わがままが通る」のは、わがままを通してくれた人がいたからこそ。だがその相手がいつ復讐に出るかはわからないのだ。そう考えると夫婦は一生「バトル」を繰り返していくものなのかもしれない。人によっては。【亀山早苗/フリーライター】

「妻の復讐がだんだんひどくなっていて、どこまで耐えられるかわからないような状態なんです」

 榊原優人さん(54歳・仮名=以下同)は弱々しい笑みを浮かべながらそう言った。彼が結婚したのは34歳のとき。当時としては遅かったという。

「新卒で入社したのがバブル真っ盛りのころ。ろくに働いてもいないその年の6月にボーナスが3桁近くでびっくりしました。その後の数年間は忙しいけど臨時ボーナスは出るし、こちらも若かったので寝ずに遊んでは仕事をして。今思えば尋常じゃなかったけど、渦中にいるときは楽しかったですね」

 バブルが弾けてから数年後、会社は一気に傾いて他社に買収され、辞めるも地獄残るも地獄の様相を呈した。そんな中、優人さんはいち早く退職、一時金を得て今後のことを考えた。

「もう人に使われるのは嫌だと思いました。だからといって僕は経営者という器ではないのもわかっていた。しばらくアルバイトをしながら世の中を見てから決めようと思ったんです」

 そんなとき辞めた会社の先輩から連絡があり、仲間たちとの起業に誘われた。会ってみると、前職の経験を生かして輸出入がらみの仕事をするという。優人さんも少し出資して経営陣として加わることにした。だが実質的には彼が営業の第一人者となった。現場で働くことが何より好きだったからだ。

「浮き沈みはありましたが、起業して4年、ようやく軌道に乗りました。先輩たちが手堅く経営してくれたおかげです。僕は経営のことはやはりよくわからないまま(笑)。それでも今は社員20名のいい会社になりました」

 退職から5年、33歳になった優人さんだが、その間、恋人がいなかったわけではない。「欲望の赴くままに」女性とデートしては一夜をともにしていた。長続きはしなかった。せいぜい半年程度、真剣につきあう気がなかったのだろう。

「でもさすがに33歳になって、今後どうするかと考えたとき、家庭をもちたいと思いました。あるとき、親しくしている長瀬さんという先輩が家に招いてくれたんです。僕より5歳年上ですが、ふたりの子どもがかわいいのなんのって。当時、7歳と4歳くらいだったのかな。上の男の子はやんちゃで、下の女の子は“おじちゃん”とまとわりついてくる。子どもの柔らかさに心が和みましたね。長瀬さんの奥さんは、弾けるような笑顔を見せる人で、こういう家庭があったらもっと仕事をがんばれるよなあとしみじみ思ったんです」

 地方出身の優人さんは大学入学と同時に上京、それ以来ひとりで生活してきた。両親との関係は「可もなく不可もなく」とごく普通。ただ、兄一家が両親と同居しており、義姉とはどこか馬が合わなかったため、ほとんど帰省もしていなかった。

「僕が長瀬さんの家庭を羨ましがったので、彼が奥さんの後輩を紹介してくれたんです。8歳も年下だったので無理だと言ったんですが、会うだけでもと言われて……。会ってみたら相手が僕のことを気に入ってくれた、と聞いてびっくりしました」

 25歳の朱美さんは穏やかな性格で「家庭を任せるには最適だ」と優人さんは判断し、すぐに結婚を決めた。長瀬さんの妻の紹介だから間違いないだろうとも思った。

「モラハラしているつもりはありませんでしたが」

「だけど……ここからは僕の傲慢でした。今思えば、ですけど。当時は自分が稼いで妻を食べさせているという思いが強かった。朱美は家事万端ぬかりなくやってくれたと思う。だけど料理が今ひとつだった。薄味で物足りなくて。こんなもの食えるかとせっかくの料理を食べずにカップラーメンを食べたりしたこともあります。彼女は『ごめんなさい。もっと勉強するから』と言う。その素直さに腹が立ったりもしていた。実は朱美は性的に非常に未熟で……ああ、こういう言い方をすると彼女に気の毒ですよね。ほとんど経験がなかったみたいなんです。だから僕は満足できなくて、その苛立ちもあって料理を盾に妻をいじめていたんだと思います」

 だから平然と浮気を重ねた。もちろん妻にバレるようなへまはしなかったが、ときには朝帰りもした。

 1年半後には長女が生まれた。今度は夜泣きさせるなと朱美さんを責めた。

「生後半年くらいたったときですかね、朱美が子どもを連れて2,3日実家に行きたいという。行っておいでと送り出しました。実はそのころ入れ込んでいる女性がいたんです。彼女は『優人さんの家に行ってみたい』といつも言っていた。だから朱美の留守に呼んだんです。彼女がデパ地下で買ってきてくれた惣菜を並べてシャンパンを開けて。飲んだり食べたりしながらいちゃいちゃしはじめて、ソファで彼女とコトに及んでいるところに朱美が帰ってきた。朱美はリビングの入り口でしばらく見ていたようです。僕は途中で気づいたんですが、やめるにやめられず、そのまま続けていました。朱美のあのときの目はいまだに忘れません。嫌悪感とか怒りを通り越して、なにも見ていないような空虚な目だった」

 離婚になるならしかたがないという思いもあった。ところが朱美さんはそのまま出て行った。優人さんの浮気を確信して実家に子どもを預け、夜、ひとりで自宅に戻ってきたようだ。

 数日後、朱美さんは何ごともなかったかのように娘を抱いて帰宅した。優人さんもなにも言わなかった。

「僕はモラハラしているつもりはありませんでしたから、その後もごく普通に生活していました。夕飯がいるのかいらないのか伝えてくれるとありがたいと朱美に言われたときも、『男が外に出ればなにがあるかわからない。いちいちそんなことを気にしてはいられない』と伝えたことがあります。作っておいて食べなければ自分が翌日食べればいいじゃないですか。どうしてちまちまとご飯がいるだのいらないだの言わなければいけないのかわからなかった」

 朱美さんはそれきり、そういうことを聞かなくなった。深夜に帰って「軽くお茶漬けが食べたい」と言ったことも多々ある。朱美さんはいつもリビングのソファで化粧も落とさず夫を待つ生活だった。いつも身ぎれいにしていてほしいというのが優人さんの願いだったからだ。

「いや、わかります。ひどい夫だったと思う。ただ、当時はけっこう稼いでいたし、妻にお金の使い道でとやかく言ったこともありません。何不自由ない生活をさせているのに、妻の感謝が足りないと思っていたのは事実です」

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