実子1人殺害、3人が不審死… 凶行に及んだ母の「異様な小動物愛」
児相が一時保護したが…
子どもふたりを亡くした上田は大和市に移り住み、新たなパートナーとの生活を始めた。今度はハリネズミとモモンガを飼い、その写真を知人にも送っている。
雄大君は12年6月に誕生したが、生後4カ月のときにチアノーゼを起こして救急搬送された。
「第1子と第2子が亡くなっていることを考慮し、一時保護に踏み切りました」
そう語るのは、地元の児童相談所の所長である。
雄大君はおよそ2年半後に親元に帰されたものの、弟が不審死を遂げたことで、児相は改めて彼を保護する。さらに児相は施設への入所措置を求めたが、上田は拒絶。横浜家裁への申し立ても却下され、雄大君は18年11月に自宅に戻った。
「雄大君に殴られた痕などはなく、近隣から虐待に関する通告もなかった。内縁の旦那さんもきちんと育児に参加していて、裁判所も承認する決め手に欠けたのだと思います」(同)
市や児相は当時、上田が「代理ミュンヒハウゼン症候群」である可能性を疑っていた。親が子どもに危害を加える一方、熱心に看病することで周囲から同情と注目を集めようとしたりする精神疾患を指す。
「過去に似た例がないほど珍しいケース」
「ただ、子どもが亡くなれば“一生懸命な母親を演じる”ことは一時的にしかできない。児相は雄大君が亡くなる4日前にも母親と面談しましたが、問題は見受けられなかった。過去に似た例が思い当たらないほど珍しいケースです」(同)
冒頭に登場した元勤務先の上司はこう話す。
「上田さんは18年2月から、“旦那さん”と一緒にうちでマンションの清掃や植木の手入れの仕事をしていました。“子どもが3人いたけどみんな2歳まで生きられなかった”と話し、児相の面談に行くのに毎月1、2回は休みを取っていた。“旦那さん”と入籍しなかったのも、姓が変わって子どもが動揺しないよう配慮したからだと思います。“子どものため”が口癖でしたから」
凶行に及んだのは何のためだったのだろうか――。
[3/3ページ]


