信じがたい偶然で「妻の過去」が明らかに… 41歳が“男泣き”で離婚届を出したてん末

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夜中に泣き出す妻

 子どもを連れて退院した日、母が自宅に来てくれた。

「母が遠慮する沙映子を説得したそうです。退院してすぐ頼る人がいないのは心身ともにきついから、と。姑は出しゃばらないはずじゃなかったのと僕が言うと、母は『ごめん。離婚した。暇だから手伝うわよ』と。また離婚したのと思わず言っちゃいました。振り返れば、このときも沙映子は様子がおかしかった。ただ僕は、出産後だし彼女を刺激したくなかったので、深くは聞かず、『とにかくおふくろを使っていいから。きみは体を休めることだけを考えて』と言うしかなかった。沙映子はただ頷いていました」

 1ヶ月ほどたって、母は「私もそろそろ働かないと」と言いながら帰っていった。そのころ母は小さなスナックを経営していた。

 沙映子さんも落ち着いて子育てをしているように見えた。亮司さんは1日に何度か妻に連絡をし、早めに帰宅して家事や育児を一緒にこなした。

「だけどときどき、妻は夜中にしくしく泣くことがありました。どうしたのと言っても何も言わない。『つらいことがあるなら話してほしい。僕はいつでもきみの味方だから』『沙映子は僕の大事な人なんだよ。いつもそばにいるから』と、言葉を尽くしたんですが、彼女は『大丈夫。ちょっと精神的に不安定になっているだけ』とか、ときには『幸せ過ぎて怖いの』とか。本当のことを言ってないと思っていました。だけど話せと強要できるものでもない。どんなことであっても話してほしかったけど、彼女が話さないと決めているなら無理に聞き出すこともできない。僕もつらかった」

 妻は何を隠しているのだろう。気になっても問いただせない。妻の気持ちを引き立てようと、彼は娘を母親に預け、ふたりだけでデートをしたりもした。そのときは笑顔を見せるが、翌日になってふと見ると暗く沈んでいる。話しかけると、ハッと気づいたように笑顔になる。それが無理しているようにしか見えなくて、亮司さんは苦しくなる。

 そんな日々が続き、一昨年、コロナ禍で亮司さんも在宅ワークが多くなった。家にいれば妻をもっと手伝ってもやれる。集中して仕事をなるべく早く終わらせ、家族で過ごす時間を増やした。その年の暮れのことだ。夜中に突然、妻の嗚咽が聞こえて目を覚ました。

そして真相が明るみに…

「どうしたのと言ったら、妻が正座して泣いている。『私、もう黙っていられない』と。それは僕にとって非常にショックな内容でした。話さないでほしかった」

 亮司さんの目が潤んでいく。少し声が震えていた。

「実は沙映子は僕の父親と関係があったんです。20歳で父親に死なれて学費にもことかいた沙映子は、水商売のアルバイトを始めた。キャバクラだったそうです。そこに客として現れたのが僕の父親。彼女の話を聞いて、小遣いをくれるようになったそうです。その後、学費と月々の生活費も出してくれ、彼女は父の愛人になった、と。『だからあなたのご両親が離婚したのは私のせいなの。お義母さんにも申し訳なくて』と泣き崩れたんです」

 もちろん沙映子さんは、亮司さんが「あの人の息子」とは知らなかった。知ったのは出産後、亮司さんの父親が病院に来たときだ。翌日、父親はもう一度、沙映子さんのもとを訪れ、「絶対に亮司には言うな」と念を押したという。

「沙映子は、『これ以上、亮司さんに嘘をついているのがつらい。本当のことを話す』と何度か父に言ったようです。でも父は頑なに、言うなと。『きみは幸せに暮らしていればいいんだ。話すことでかえってきみも息子も傷つく』って。だから沙映子はひとりで抱えていた。だけど『あなたが優しくしてくれればくれるほどつらくなって』と沙映子は泣きながら告白しました。僕はショックでそのまま家を飛び出し、2時間ほど外を歩き回りました」

 帰宅すると沙映子さんが「私、出ていくね」と言った。だが暮れの寒空の中を外に出すわけにはいかない。明日、ゆっくり話そうと言うと、妻は寝室を出て娘の部屋に行った。

「何をどう考えたらいいかわからなかった。父の愛人と結婚した息子、と考えるとなんだか笑うしかないような状況ですよね。だけどこれは本当に偶然であって、今さら僕が父や沙映子を責めても何にもならないわけですよ。だからといって、何ごともなかったかのように暮らしていける自信はない。沙映子はオレと父を男として比べたりしていたんだろうかとも考えたら、気持ちが悪くなってトイレで吐いてしまいました」

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