【袴田事件と世界一の姉】巌さんの縦縞パジャマに付いていた「血」を巡る異様な新聞報道

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大阪府高槻市の選挙違反事件の冤罪

 司会の「清水の会」の山崎俊樹事務局長が、「コロナで参加人数も少ないですが、重要な局面なので資料もお渡ししたく」などと開始した。楳田代表は「社会問題に共通するのは無謬(むびゅう)性。統治権力が推し進めてきたことが間違っていても、修正せず誰も責任を取らない。冤罪事件ではでは特にそれが顕著。これを変えないとならない」などと挨拶した。弁護団の若手、西澤美知子弁護士が、現在「1年も味噌漬けになっていた衣服の血痕が赤いままのはずがない」として最大の争点になっている5点の衣類について、赤みが消えるメイラード反応などの仕組みを「数学と理科に弱いんです」と謙遜しながらもわかりやすく説明してくれた。

 この日のメイン講師として登壇したのは、筆者もよく知る関西大学教授の里見繁さんだ。大阪の毎日放送(MBS)で一貫して報道記者だった里見さんは、定年退職後、同大学の社会学部で学生に取材やルポの手法などを教えている。冤罪のドキュメント番組を多く手掛け、袴田事件では1998年に『死刑囚の手紙』という優れた作品を放映した。里見さんは「私が冤罪に関心を持ったのは、大阪府高槻市の選挙違反事件の冤罪でした」と切り出した。

 1986年夏の衆参同時選挙で、大阪府警は参院大阪選挙区から立候補した自民党候補を支援した高槻市議など147人の自白調書を取り、略式を含め全員を「公選法違反」で起訴した。しかし、1991年に大阪地裁で全員が無罪となり、検察は控訴を断念した。判決では、候補が会合に顔を出すのは時間的に無理で、会合の日も定められないとされたが、検察は「買収会合」の日時をころころと変更していた。筆者が長期にわたって取材した鹿児島県の「志布志事件」とそっくりの選挙違反冤罪である。

“さん付け”の呼称で放映

 ドキュメント番組『147人の自白調書』(1991年)を作った里見さんは、「自白調書を取られた人たちを取材すると、みんな全く言ってもいないことが供述調書になっていた。捜査はインチキだらけ。こんなことってあるのかと疑問を持ったのがきっかけでした」と話した。

 最近では、西山美香さんの「湖東記念病院事件」や青木惠子さんの「東住吉冤罪事件」を紹介した著書『冤罪 女たちのたたかい』(インパクト出版)も出している里見さんは、死刑判決の確定後、それまで「袴田死刑囚」と報道されてきた巖さんを、放送局として初めて「袴田さん」と“さん付け”の呼称で放映した報道人である。フリーランスならともかく、組織に属してこうした英断を実行するのは容易ではない。

 会場で一部が上映された『死刑囚の手紙』では、巖さんの取り調べの中心的な立場にいた静岡県警の元刑事・松本久次郎氏(故人)の家を里見さんが自ら訪れ、本人は出てきたものの「関係ない」と取材に応えずに奥へ引っ込んでしまう場面もあった。ひで子さんはもちろん、巖さんの長兄だった茂治さん(故人)が東京拘置所に面会に訪れた様子も映っていた。映像には、30代の頃の小川秀世弁護士や山崎さんなどの姿もあった。里見さんは「ここにおられる方も多いので、あえてそういう場面を選んで編集したんですよ」と笑わせた。

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