難病を生き抜いた子供たちのいま 「骨髄性白血病」女性は起業、看護師として病院に戻った例も

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 難病の子供の最後の日々を充実させようと誕生した施設を描き、昨年、新潮ドキュメント賞を受賞した『こどもホスピスの奇跡』。そこに登場する子供の幾人かは病気を乗り越え、社会で働いている。闘病体験を光に変えて、強く温かく生きる彼女たちの感動の物語。【石井光太/作家】

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 現在、日本には“こどもホスピス”と呼ばれる施設が二つある。最初にできたのは、大阪府の「TSURUMIこどもホスピス」で、2016年のことだ。それから5年後の21年、神奈川県に「横浜こどもホスピス」が誕生した。これ以外にも現在、東京、長野、北海道などで設立の動きがあり、難病の子供を取り巻く現場が大きく変わろうとしている。

 こどもホスピスは、成人用のホスピスのような看取りを目的とした医療施設ではない。命の限られた難病の子供たちの日々を、遊びなどを通して少しでも輝かしいものにしようとする民間の施設だ。看護師や保育士の資格を持ったスタッフが常駐し、キャンプや夏祭りや音楽祭といったイベントを行ったり、個別の家族の催しを受け入れたりしている。親やきょうだいの支援もする。つまり、難病の子供たちの生活の質(QOL)を上げることを目的としているのだ。

 私は20年11月に刊行した拙著『こどもホスピスの奇跡』で、TSURUMIこどもホスピスが設立されるまでの道のりを描き、それが21年、新潮ドキュメント賞を受賞した。実はそこに登場する子供たちの何人かは、奇跡的な回復を果たし、社会に出て働くようになっている。

生還者たちのその後

 小児医療の現場周辺にはそんなサバイバー(生還者)が少なくない。10年、20年経って、元患者が小児病棟で難病と闘う子供たちを支えているのだ。本稿ではTSURUMIこどもホスピスや、その誕生に多大な影響を与えた大阪市立総合医療センターで出会ったサバイバーたちのその後を紹介してみようと思う。

 大阪市都島区にある大阪市立総合医療センターは、関西で最大規模の小児病棟を持つ病院だ。五つの市民病院を再編してつくられた総合病院で、近年は新型コロナウイルスの重症患者受け入れの最前線ともなった。

 この病院で緩和ケア認定看護師として働くのが、横井夢律美(むつみ)(36歳)だ。緩和ケアセンターに所属し、がんの患者などを担当する。

 夢律美は、急性リンパ性白血病のサバイバーだ。病気がわかったのは、中学3年の12月。受験勉強中に微熱、倦怠感、出血斑に悩まされ、中学の担任の教師の勧めで病院へ行ったところ病気が発覚し、国立大阪病院(現・大阪医療センター)に入院した。病状はかなり深刻で、7カ月半つづけた化学療法では治癒せず、大阪大学医学部附属病院で造血幹細胞移植を受けて奇跡的に回復した。

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