難病を生き抜いた子供たちのいま 「骨髄性白血病」女性は起業、看護師として病院に戻った例も

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10代の一時期を過ごした病院に就職

 陽香が看護師になったのは、鈴之介の影響が大きい。

「スズ君が生きていた時、病棟でよく『俺は医者になってこの世から病をなくすんや』って言ってたんです。私はそれを聞きながら『ああ、すごいな、私もスズ君に近づきたいな』って感じてた。彼が亡くなった後、私の中でその気持ちが急に膨らんで、医者にはなれへんけど、看護師として小児病棟にもどって働きたいと考えるようになったんです」

 陽香は畿央大学の看護医療学科に進学した。私が初めて彼女に会ったのはこの頃だ。就職先を決める時に彼女の脳裏に浮かんだのは、自身が10代の一時期を過ごした大阪市立総合医療センターだった。主治医だった原純一副院長へ連絡すると、笑ってこう言われた。

「うちを受けるやろ。待ってるよ」

 21年4月、彼女は晴れて大阪市立総合医療センターに就職した。配属されたのは、小学6年から中学2年にかけて入院し、鈴之介らと「青春時代」を過ごした7階の小児病棟だった。

 この頃はまさに新型コロナウイルスの混乱の只中で、患者たちは家族との面会さえままならない状況だった。その中で、子供たちは不安げな面持ちで病魔と闘っていた。

 彼女は言う。

「コロナ禍で、病棟にはたくさんの制限が課せられています。でも、私がかつてここで過ごした年月が青春だったと思えたのと同じように、今の子供たちにも『病気のせいで時間を失った』と悲しむより、『貴重な時間を過ごせた』と考えられるようになってほしいとずっと考えていました」

闘病を経験したからこそできる配慮

 コロナ禍の病棟で、子供たちは感染対策でカーテンを閉め切り、他の入院患者とかかわることが少なくなっている。陽香は自分の経験から患者同士のつながりがいかに大切なものかを知っていたので、さりげなくカーテンを少しだけ開けて同室の患者と知り合うきっかけを作るなど、10年前に自分が入院中にやってもらってよかったと思ったことを行っている。

 そんなある日、患者の親が声をかけてきた。『こどもホスピスの奇跡』を読んだという。

「すいません、この本に出てくる中学生の女の子って看護師さんと同姓同名ですよね。もしかして、病気を克服して看護師になって病院にもどってきはったんですか」

 はい、と陽香が答えると、その親は言った。

「私のような親にとって、看護師さんは希望です!」

 自分の子の運命を重ね合わせたのだろう。陽香はそれを聞いて、初めて自分の経験が人の希望になるのだと思った。彼女は言う。

「まだ新人ですが、こうして生かされているのだから、やりたいことや、自分にやれることを精いっぱいやっていきたいと思います。その結果、誰かの力になれたり、希望になれたりしたら嬉しいですよね」

 彼女にしか果たせない役目が、たしかにあるのだ。

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