6人殺害、1人行方不明…マル暴刑事が見た「平成の殺人鬼」と呼ばれたヤクザの冷酷

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獄中からの告白

 Aの供述通り、犯行に使われた銃器も出てきて証拠は固まった。警視庁はAら実行犯と指示役の矢野を日医大事件の殺人容疑で逮捕した。さらにAの供述から前橋事件の実行犯がフィリピンに逃亡していたことも判明。矢野は前橋事件でも、実行犯とともに群馬県警に再逮捕されたのだった。こうして一連の抗争事件は解決した。だが、これで終わりとはならなかった。

 矢野に死刑判決が下った後の16年5月、週刊新潮で〈永田町の黒幕を埋めた「死刑囚」の告白〉という記事が掲載される。それは、これまで世に出ることはなかった、20年以上前に矢野が犯した「殺人の告白」であった。

 矢野は誌上で、96年に行方不明になっていた不動産業の津川静夫さんと、98年に詐欺事件「オレンジ共済組合事件」に関与し行方不明になっていた不動産ブローカー・斎藤衛さんの二人を、「自分が殺して埋めた」と自ら打ち明けたのだ。週刊新潮取材班は、遺体を埋めた元暴力団関係者にも接触し、遺棄現場を特定。その後、警視庁が捜査に乗り出し、二人の白骨化した遺体が発見された。組対4課の管理官になっていた櫻井氏は、この事件も担当することになった。

「矢野が突然、告白を始めたのは、罪を悔いたからだとは思っていません。その証拠に、彼は公判では一転、無罪を主張し出すなど矛盾した行動を取っていました。彼は前橋事件、日医大病院事件ですでに死刑判決を受けており、新たな裁判を起こして公判を長引かせて、その間、執行を免れたかったのでしょう」

指が2本しか残っていなかった手

 だが、矢野の目算は外れる。19年1月、東京地裁は矢野の告白や公判での否認は「死刑執行の引き伸ばしが目的」と指摘したうえで、証拠が乏しく犯行を認定できないと無罪判決を出す。検察も控訴せず、裁判はすぐに終了してしまった。翌20年1月、矢野は東京拘置所で鋭利な刃物で首を何度も切りつけ、出血多量で自死した。

「シノギのためならカタギも殺める。保身のためには身内も口封じする。思い通りにならなかったら自殺です。どこまでも自分本位な人間でした。矢野は人差し指と親指しか指が残っていなかった。こんなヤクザに今まで会ったことはありません」

「平成の殺人鬼」と呼ばれた矢野が殺害した人は、判明しているだけで6人を数える。だが、櫻井氏はまだ被害者は眠っているはずだと語る。

「矢野の金庫番のようなことをしていた当時40歳くらいだった男が、行方不明になったままです。彼も口封じされたのではないかと考えています」

櫻井裕一(さくらい・ゆういち)
元警視庁警視。東京都出身。1977年に警視庁入庁後、各階級において一貫して組織犯罪対策に従事。反社会的勢力集団、外国人犯罪集団、違法薬物犯罪集団等、組織的に行われる数々の凶悪事件、詐欺事件、薬物事件、企業恐喝事件等の現場に対峙し、解決への対応指揮を行う。日本屈指の繁華街を管轄する新宿署、渋谷署で組織犯罪対策課の課長も経験。2018年、警視庁警視にて組織犯罪対策部組織犯罪対策第4課で退官。2020年に同じ志を持つ仲間とSTeam Research & Consulting株式会社を設立、現職。

デイリー新潮編集部

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