【埼玉・白岡15歳少年暴行死】給食を食べるために登校… 同級生らが明かす「生活保護一家」の極貧生活

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学校の説得を無視

 颯太くんには2歳下の弟がいる。弟の同級生の保護者はこう話す。

「弟もほとんど学校には来ていませんでしたね。あと、颯太くんのお姉ちゃんのことを知っている人に聞くと、お姉ちゃんも全然学校に来ていない、と言っていました。お姉ちゃんも颯太くんも、学校に来ない理由を“下の子の面倒をみなきゃいけないから”と説明していたそうです」

 弟は卒業文集に次のように書いている。

〈ぼくはなかなか学校へ行けませんでしたが、先生が週に一回家に来てくれて、学校のみんな様子などたくさん聞かせてくれました。短い時間でしたが、とても内ようのこい時間でした。とても楽しい時間でした。/中学校に行ったらもう少し登校できるように心がけたいです。そして少しでもみんなと同じ時をすごせるようになりたいです〉

 先生が家を訪問していたのは、友達の様子などを伝えるためだけではなく、

「颯太くんたちをちゃんと登校させるよう、親を説得していたと聞いています。それでも颯太くんが学校に来ることはほとんどなかったのです」

 と、颯太くんの同級生の母親は語る。

「小さい弟妹の面倒を見なければならないから学校に来られないなんて、普通じゃないと思っていました。普通の親なら子供にそんなことさせませんよ……。颯太くんの近所の友達は“颯太くんは家から出してもらえなくて学校に来られない。外に出してもらえないんだって”と言っていたそうです。事件が起こった後には、“いつかこうなるんじゃないかと思っていた”とも……」

母親の顔にひどい青あざが

 颯太くん一家は白岡市に引っ越してくる前は隣接する蓮田市で暮らしていた。その頃から、颯太くんらは学校に行かせてもらえていなかったようで、蓮田時代の同級生によると、

「颯太は小3くらいの頃から“小さい弟妹の面倒をみなきゃいけないから”ということで学校にあまり来なくなってしまいました。その前も学校には3~4時間目に来ることが多かった。理由を聞くと、“お父さんに給食食べてこいって言われてるから”と……」

 元同級生の保護者も、

「小学1年、2年の頃からあまり学校に来てなくて、登校した時は給食をたくさん食べさせてあげる、親が食べさせてあげてない、と担任は言っていました」

 そう話し、当時の近隣住民もこう振り返る。

「ある時、あの家の小学3年生くらいの男の子がたい焼き1個を大事そうに手で抱えていて、その後ろを弟だったか妹だったかが歩いていた。声をかけたら、“3人で分けて食べるんだ”と言っていてかわいそうに思ったことがありました」

 颯太くんの母親は、元々は蓮田市内の病院で看護師として働いていたという。

「以前、彼女が顔に青あざを作って病院に出勤したことがあったそうです。DVを働いたのは今の内縁夫なのか前夫なのか当時の交際相手なのかは分かりませんが、患者さんの前に出せないほどのひどいあざだったそうです。その後、男から病院にものすごい数の電話がかかってくるといった騒動になり、彼女は病院を辞めたと聞いています」(蓮田市の別の近隣住民)

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