元公安警察官は見た 30年間「黒羽一郎」になりすました朝鮮系ロシア人スパイに味わわされた屈辱

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大量の捜査員の顔写真

 ウドヴィンが再び日本に赴任したのは1977年4月。今度は二等書記官として1981年10月まで活動した。

 そして1993年10月、一等書記官として3度目の来日を果たす。

「黒羽がロシアのスパイに背乗りされているとウラが取れたのは1997年のことです。当時、彼は海外で諜報活動をしていたが、在オーストリア日本大使館で旅券の更新手続きをした際に提出した顔写真が全くの別人であることが分かりました。福島で生活していた線が細く弱々しい黒羽とは全く違う別人で、たくましい顎の体格の良さそうな男でした。他人の旅券を勝手に更新したということで、旅券法違反で立件することになりました」

 もっとも黒羽を名乗るスパイは、CIAが警察庁に極秘情報を伝えた1995年の時点で、すでに中国へ出国していた。

 外事1課は1995年以後、練馬区のマンションに住む黒羽の日本人妻を24時間体制で監視していた。その時、ウドヴィンもマンションの周辺で何度か目撃されている。

「1997年7月、旅券法違反で黒羽の逮捕状を取得して練馬のマンションを家宅捜査しました。部屋の中から乱数表、短波ラジオ、換字表(普通の文章を暗号の変換する表)などスパイ七つ道具が見つかりました」

 スパイはモールス信号による5桁の数字を短波ラジオで受信し、乱数表翻訳していたようだ。

「妻もスパイの教育を受けていたようで、部屋の中から捜査員を愕然とさせるものが出てきました。彼女は尾行する捜査員に気づくと、隠しカメラで撮影していたのです。部屋の中には、捜査員の大量の顔写真がありました。尾行技術に絶対的な自信を持っていた捜査員はかなりショックを受けたそうです。捜査員も、ただの主婦と思って舐めてかかって尾行していたのかもしれません」

 スパイが収集したのは、在留米軍情報や日本の最先端の半導体情報、カメラのレンズの技術だったという。

 マンションの家宅捜査から2週間後、外事1課はウドヴィンに事情聴取のための出頭を命じたが、無視して直ちに帰国したという。

「黒羽を名乗るスパイは、入手した情報をマイクロフィルム化して清涼飲料水の空き缶に入れ、神社や公園などに置き、ウドヴィンが回収していたと思われます。いわゆる『デッド・ドロップ・コンタクト』という手法です。外事1課にすれば、黒羽に背乗りしたスパイの名前もつかめず、本物の黒羽がどこへ行ったかも分からないままだったので、本当に後味の悪い事件でした」

勝丸円覚
1990年代半ばに警視庁に入庁。2000年代初めに公安に配属されてから公安・外事畑を歩む。数年間外国の日本大使館にも勤務した経験を持ち数年前に退職。現在はセキュリティコンサルタントとして国内外で活躍中。「元公安警察 勝丸事務所のHP」https://katsumaru-office.tokyo/

デイリー新潮編集部

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