桂文枝が「新婚さんいらっしゃい!」引退 8年を支えた「愛人の告白」と「文枝の弁明」(後編)

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「大切にする」

 文枝師匠の話を恵美子さんに伝えると、呆れた様子で言うのである。

「初めて抱かれた日(09年3月)も私はよく覚えています。私は文枝さんが初めての男性体験だったからです。それもあって、最初は身体が痛くて仕方がありませんでした。出血もあったのです。そのとき、文枝さんは“こんな乙女がおるとは思わんかったわ”と感激してくれたり“初めての男になったんやから大切にする”と言ってくれたのをよく覚えています」

 やがて文枝師匠は恵美子さんの家に来ると勝手に寝室に上がるようになっていたと言う。

「文枝さんは階段を登りながら洋服を一枚一枚脱いでゆくのです。2階に着いたときは全裸になっており、脱ぎ散らかした服を指して“ミステリアスな感じがして面白いやろう”とふざけて見せたものです」

 さて、文枝師匠はどう答える。

「それはその、当時はそういう風な話をしたかも知れませんが、僕だけが(一方的に卑猥な話を)したわけじゃないと思いますわ。でも、正直言って僕はぜんぜん元気がないんです。もう、前立腺が肥大してますからね。僕、74歳ですよ。8年前も前立腺の薬を飲んでましたよ」

 だが、文枝師匠自身の撮影による局部が大写しになった写真が恵美子さんに送られたこともあり、メッセージには、

〈こんなに元気やった これなら恵美子と勝負できる〉

 とある。これも1枚や2枚ではない。メールや写真が残されていたのだ。

 さすがに写真は記憶に残っていると思ったら―。

「それについても……覚えてないです。彼女に言われて送ったかも知れないけど、(写真やメールが残っていると言われても)否定も何も僕には分からないとしか言いようがありません。それにしても会話の記録が残っていたり、写真が残っていたり、(どうしてそんなものが出てくるのか)僕には信じられません。女性不信になってしまう感じですよ」

色々と学ばせてもらいました

 文枝師匠が続ける。

「そやけど、彼女は自分の都合のいいことだけ言っているようにしか思えないんですよ。親切にしてきたつもりやのに、彼女はだんだんエスカレートしていきましてね。メールも、40分の間に40通くらい寄越したりとか怖くなっていったのはあります。

 あるときは、繁昌亭(大阪の定席寄席)でも、暴れたり大きな声出されたりしたこともあったんで、仕事に差し障りあるからと、弁護士さんに相談したこともありました。でも、大ごとにしたくなかったし、出来るだけ優しくしておいたら、事なきを得るかなという気持ちもありました。だから、記事が出る直前まで彼女と連絡を取っていたのは事実です」

 恵美子さんが、途中から文枝師匠に日に何度もメールするようになったのは、自分でも認めている。また、文枝師匠に強引に会おうとして演芸場でトラブルになったことも事実である。だが、彼女によれば、それは自分が弄ばれているだけではないかという不安からだったという。最後に文枝師匠はこう語った。

「僕は夏目さんのことを邪険にしたつもりはないんです。でも、『8年の愛』と言われたって、それは違う。何をもって愛人と言うのか分かりませんけど、僕は夏目さんと一緒に住むとか、しょっちゅうデートするとかはなかった。僕自身の中で彼女は愛人のカテゴリーには入ってないんです。それでも、芸人にとってやっぱり「女性は芸の肥やし」だと思っています。僕も夏目さんから、色々と学ばせてもらいました。女性の仕草とか儚さを演じるときにね。だけど、僕自身はこの8年間、人を愛したことはありません」

 結局、恵美子さんからは告発を受けることになったわけだが、この交際から文枝師匠が学んだものとは何だったのだろう。

デイリー新潮編集部

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