脳死状態で生まれた娘を10年育てた父親 今も不信が募る病院や医師の対応、そして苦悩の日々を告白

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周囲には伏せている彩名さんの存在

 そして原因がどうあれ、責任がどこにあるのであれ、我が子と向き合い支えていくのは親である。

「私たちは彩名の生活場所を施設に選択しましたが、彩名と同じような状態のお子さんで在宅で暮らす子たちもいる。私たちも一時、在宅を考えてみました。しかし、私の親が在宅介護の経験があり、その大変さを知っていたので、家庭が壊れるからやめたほうがいいと助言されました。実際、体交(註・体位交換)や痰吸引など24時間フルタイムの介護が必要なので、私自身、仕事をすることができなくなるのではという思いも生じ、施設を選択したのです」

 障害を持つ子どもを受け入れるのは、そう簡単なことではない。中には、なかなか受け入れられずにいる親もいる。

「受け入れるも何も、必死でしたよね。当時は、この子をとにかく生かさなければいけない、そういう思いで必死にやってきました。でも、今思えばその必死さが、いろいろなことから私をまぎらわせてくれていたのかもしれません。それに彩名の場合、NICUを備えた病院から障害児施設にそのまま入所となったので、常に“外にいる”というか、言葉で言い表すのは難しいのですけれど、子どものようで子どもでないような、不思議な感覚がありました」

 そして、こう語る。

「でもある時、『あ、我が子だ』って思う瞬間があったんです。4歳か5歳の時かな、夜中にいきなり施設から『危ないから今すぐ来てください』って電話がかかってきたんです。施設まで車で1時間30分ほどかかるのですが、その道中のことは思い出せないくらいで、『生きてくれ』って、そればっかり思っていましたね」

 しかし孝さんは、彩名さんのことを周りの人たちに伝えていない。

「彩名のことを可哀想だと同情してほしくはないんです。今も一部の人しか彩名の存在を知りません。でも、それでいいと思っています。妻や彼女の両親や私の両親が、彩名のことを大切に思ってくれていればいいんです」

 でも、もちろん彩名さんのことは「我が子」だと思っている。

「年賀状には名前は載せています。でも、写真は載せません。名前まで消すことは何か違うと思っていて、自分の子どもを否定することにもなるわけで。子どもの姿を見た人に同情はしてほしくないので、年賀状に名前だけ載せています。年賀状を見る人によっては『アレ?』と疑問を持つ人もいると思いますが、誰も何も聞いてきませんし、聞けないでしょう、向こうも」

 筆者自身も障害を持つ子の親だから、その気持ちは理解できる。「大変だね」「よく頑張ってるね」、綺麗ごとと言ってはなんだが、そんな言葉はかけられたくないと内心思っているし、もちろん望んでもいない。障害があっても我が子であることに変わりなく、私たちにとってはそれが「普通の育児」なのだ。

「障害児育児って納得の連続だと思うんです。納得がないと前に進めません。それを思うと、妻はすごく前に進んでいる。その直後に第2子が生まれたのもありますが、育児や生活に追われ、時間とともに過去のことになっているのかなと。でも自分は、あの日から10年経ちますが、病院にも日本医療機能評価機構にも納得できていない。だから葛藤しています。そこを納得できたら、すごくいい生活が待っているんだろうと思いますが、私にはゴールが見えません。2018年10月に、審査に関わった委員、再分析に関わった委員にも質問状を送りました。守秘義務があって応えられないという回答のみが届きました。再分析に関しても納得いく応えがもらえず、私の個人情報でもあるのに守秘義務だという回答には疑問を抱きました。再度、2021年8月に、機構に再分析に関する質問を投げかけましたが、いまだに回答はありません」

 彩名ちゃんには1歳下と3歳下の妹2人がいる。

「救いは、妹たちの存在です。特に次女はもう9歳ですから、彩名の体が不自由なことは理解できています。彼女には『事故』と伝えていますが、本当のことや具体的なことはまだ言っていません。でも、彼女の中ではいろいろ理解できているようで、何も聞いてきません。たびたび対面する彩名に反応がなくても、それがずっと自然なことなので、妹たちも彩名には普通に接してくれるんです」

 最後に孝さんはこう語った。

「私たちは脳死の我が子を必死に、一生懸命、もがき苦しみながら、見守り、否定し、そして受け入れていった。医師や病院に、私たちと寄り添ってくれる姿勢があれば、機構にせめて少しの思いやりがあれば、私たちははるかに苦しまずにこの子を受け入れることができたかもしれない。もしかしたら、この子は今、目の前で私たちとたわいない会話をしていたかもしれない。やはり今思うのは、同じ悲しいことが二度と起こらないように、再発防止を徹底してほしいということに尽きます」

中西美穂(なかにしみほ)
ジャーナリスト。1980年生まれ。元週刊誌記者。不妊治療で授かった双子の次男に障害が見つかる。自身の経験を活かし、生殖医療、妊娠、出産、育児などの話題を中心に取材活動をしている。障害児を持つオンラインコミュニティ・サードプレイスを運営。

デイリー新潮編集部

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