「くだらん野郎だなッ! おまえは」菅原文太が珍しく声を荒らげた人生相談の内容

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「仁義なき戦い」をはじめとする出演した映画の役柄から、菅原文太は頑固一徹だと思われることが多い。実際そういう面もあるのだが、どんなひとの内面も一様ではないものだ。週刊誌「アサヒ芸能」で連載した人生相談の回答を見ると、文太の鷹揚な面ばかりが目につく。ゴルフ初心者に競馬狂、愛人女性や恐妻家……。相談者も悩みも多種多様だが、とにかく相手を否定しないのだ。ところが、珍しいことに文太が激しく反応した相談内容があった。徹底した調査を踏まえて『仁義なき戦い 菅原文太伝』(新潮社)を執筆した松田美智子さんが紹介する。

「君子豹変す」

 1990年10月に始まった文太の人生相談「たかだか人間!」は、91年11月まで58回にわたって掲載された。掲載誌は「アサヒ芸能」で、編集部の意向だったのか、死ぬの生きるのといった深刻な相談は見当たらない。複数の相談が寄せられたのが、ゴルフについてである。

 その中のひとつ、32歳で課長に抜擢された男性は、今後は接待でゴルフが必要になると思い、実践を積むことにした。

《しかし、ゴルフ歴がたった半年のボクのスコアはめちゃくちゃ。100たたくのはあたりまえで、いつもお得意様の重役さんたちに笑われます。そこでうかがいたいのですが、ゴルフがうまくなるにはどうすればいいんでしょうか》(91年4月11日号)

 この男性は、なぜプロでもない文太にゴルフの上達法を尋ねたのか。文太のゴルフ歴が長いことはよく知られていたからである。

《ゴルフを始めたのは昭和35年ごろ(中略)松竹撮影所に顔を出しても、なかなか仕事にありつけなくって、まあ、気分転換に近くの葉山などにあったゴルフ場に行ってた。初めは“止まっているボールなんかバカバカしくて打てるかい”なんて思っていたんだが》(91年6月6日号)

 やがて毎月ゴルフ場に通うようになり、趣味のひとつになった。高校の同窓生からは《おまえ、あれほどバカにしていたゴルフをやるようになったんだってな》と皮肉られるが、「君子豹変す」と答えているという。

チャリティ・ゴルフを始めたのは

《ただ、オレのゴルフは、はっきりいって横着そのものだな。同じゴルフ場で10回やってもどこがどんなホールだったかわからんし、覚えようともしない。いいかげんなゴルフだな》(同)

 自分は、あくまで気分転換でクラブを振り回しているだけと言い切る。スコアをアップさせようと考えたこともなく、OBを出そうが空振りしようが気にしない。ダブルボギーでいいじゃないか。そんな文太は、新米課長にどんなアドバイスをしたのか。

《オレがいえるのはそのくらいでね。あとは、自分なりにクラブを思いっきり振り回してつかわさいや(苦笑)》(同)

 なんの役にも立たないアドバイスだが、文太は自分の経験を基にして、「笑われても気にするな。気楽にやれよ」と教えていた。

 気分転換の他にもう一つ、文太がゴルフを続けた理由がある。毎年、著名人を招いてチャリティ・ゴルフを開き、寄付金を集めていたのだ。文太がホストになってチャリティ・ゴルフを始めたのは、身よりのない在日韓国人のための老人ホームや、在日アジア人女性のための母子寮の建設資金を集めるのが目的だった。チャリティには小林旭や金田正一、三浦雄一郎、ファイティング原田など人気者を招いたおかげか、多額の寄付金が集まり、どちらの施設も完成している。

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