【袴田事件と世界一の姉】巖さんに名誉チャンピオンベルト 30年支援したボクシング界の功績

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 1966(昭和41)年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社「こがね味噌」の専務一家4人を殺害した強盗殺人罪で死刑が確定し、囚われの身だった袴田巖さん(85)が静岡地裁の再審開始決定とともに自由の身になったのは、2014年3月のことだった。実に47年が経ち、30歳で逮捕された男は、この時78歳になっていた。かつては一流のプロボクサーだった巖さん。「ボクサー崩れ」の偏見で絞首台に送られようとしていた「囚われの大先輩」を必死に奪還しようとしたのはボクシング関係者だった。(連載第4回・粟野仁雄/ジャーナリスト)

姉一人で受け取ったチャンピオンベルト

 47年ぶりの釈放から10日後の2014年4月6日。巖さんが東京都東村山市で療養入院している中、姉の袴田ひで子さん(88)には嬉しいイベントがあった。

 東京都大田区の区立総合体育館で、ボクシングの世界戦2試合が行なわれた。今をときめく井上尚弥(現在、世界タイトル3階級制覇)が王者アドリアン・エルナンデス(メキシコ)に挑み、6回にフックでダウンを奪いTKO勝ち。世界ライトフライ級王者の座を奪取した。世界戦6戦目の最短記録での頂点という快挙だった。さらに「大橋ボクシングジム」の先輩のWBCフライ級の八重樫東(やえがし・あきら=昨年引退)も3度目の防衛に成功した。2人がチャンピオンベルトを授与されると、観客は沸きに沸いた。

 だが、この場で2人より先にチャンピオンベルトを授与されたのがひで子さんである。真四角のマットを4本のロープで囲んだリングに、ひで子さんが登場した。プロボクサーだった弟に代わってWBC(世界ボクシング評議会)から「名誉チャンピオンベルト」を受ける特別授与式が世界戦の前に行なわれたのだ。かつてボクシング取材をしていた筆者も、こんな「前座」は初めて。盛り沢山のイベントに得した気持ちがした。

史上2人目の名誉チャンピオンベルト

 リングには日本プロボクシング協会の大橋秀行会長、同協会「袴田巌さん支援委員会」の新田渉世(にった・しょうせい)委員長、そしてマウリシオ・スライマンWBC会長の姿があった。筆者は大橋会長がWBCストロー級の世界王者だった1990年6月、2度目の防衛戦に挑んだ後楽園ホールでの試合を取材していた(残念ながらメキシコの新鋭リカルド・ロペスの強打に屈してしまった)。当時よりかなりふっくらとした姿だが、実に懐かしい顔だった。

「ハカマダに名誉チャンピオンベルトを渡せることは光栄です」。巨体のスライマンWBC会長から巖さんへ贈られた名誉チャンピオンベルトを受け取ったひで子さんが、「ボクシング界のみなさまにはお世話になりました。ありがとうございました」とベルトを高々と掲げると、会場は「おめでとう」という歓声に包まれた。

 薄緑色のベルトには、伝説のヘビー級王者モハメド・アリと米国で殺人の冤罪で19年間刑務所に入れられたプロボクサーのルービン・カーター氏の写真、さらに、袴田さんが現役ボクサーだった頃と拘置所から出た直後の2つの写真が、計4個のバッジになって縫い付けられていた。リングを降りたひで子さんは、取り囲んだ記者たちに「(ベルトは)重いですね。早く巌に見せてやりたい。どんな顔しますかね」と嬉しそうだった。

 名誉チャンピオンベルトを授与されたのは、カーター氏以来、巖さんが2人目だった。巖さんのことを知ったカーター氏は、2008年のチャリティイベントに「Free Hakamada Now!」と題するメッセ-ジを入れたビデオを送ってくれていたが、この授与式の2週間後に亡くなっている。

 本当は「ハカマタ」と読むが、「Free Hakamada Now!」のメッセージは、弁護団や支援者らがピンバッジにして服につけたり、Tシャツにもデザインされたりした。釈放後の巖さん本人も喜んで着ている。新田委員長も感激の様子だった。2004年にジムの生徒から袴田事件のことを聞いた新田氏は、調べるうちに「とんでもない濡れ衣だ」と怒りを覚え、以来、勉強会を開くなど巖さんの支援を訴えてきた。

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