無免許都議「木下富美子」はなぜ醜態をさらし続けたのか 危機管理コンサルタントが語る三つの教訓

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 都議会議員当選直後に無免許運転が発覚した木下富美子議員(55)が、ようやく辞職することとなった。本人は、「議員を続けてほしい」という声があったと語っているが、おそらく多くの投票した人は、その行動を悔やんでいるのではないか。投票前には知る由もなかったとはいえ、「候補者選びは慎重に」というのは今回の件の教訓の一つだろう。

 もっとも、教訓はそれだけではないようだ。

 危機管理コンサルタントで、株式会社リスク・ヘッジ代表の田中優介氏は、木下議員の一連の行動は、危機管理を考えるうえでは、ある意味で格好のテキストだった、という。もちろん、お手本ではなく反面教師として、である。

 このケースから学べる三つの教訓について、田中氏が寄稿してくれた。

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 11月22日に辞職した木下富美子元都議会議員は、居座り続けた姿勢のみならず辞任会見でも都民・国民の怒りを買ってしまいました。何が悪かったのかについては、改めて専門的な解説をするまでもありません。誰でも分かるからです。

 辞任については、ご本人やごく近しい支援者を除けば、誰もが当然だと思っていることでしょう。

 それにしても、小池百合子東京都知事から高い評価を得て、連続して都議会議員に当選したような人物が、なぜあれほどの醜態をさらすことになったのでしょうか。その謎を解き明かすことは、多くの方々の危機対応において参考になるかもしれない、と考え、以下、私見を述べてみます。

 今回の件から得られる教訓は、(1)岸の違いを意識すべし、(2)展開を予想すべし、(3)他者への依存心を持つな、です。

「岸の違い」が最後までわからなかった木下氏

 木下氏が犯した罪は免停中の無免許運転でした。

 どうも木下氏は無免許運転と免停中の運転とを別のものと認識していた節があります。免停中の運転を、免許不携帯と同じレベルの罪と認識していたのかもしれません。

「自分には運転する技能があるから、少しくらいは構わない」くらいに。そうでなければ、わずか2カ月余りの間に7回も繰り返して無免許運転をしないのではないでしょうか。しかもこれは東京地検が把握している回数に過ぎないので、実際には何回かもわかりません。

 言うまでもなく、法律上はまぎれも無く無免許運転です。とりわけ公職にあるような立場であれば、免停は、運転する資格が無いという烙印を押されたのと同じだ、と重く受け止めるべきでした。木下氏には根本的な勘違いがあったように思われます。

 だから何度も繰り返したのでしょうし、発覚した後の反省レベルも低いのでしょう。しかし、多くの都民・国民の側は決して軽い罪だとは思っていません。

 企業の危機管理でも同じような勘違いを時おり見掛けます。

 たとえば、顧客情報の漏洩案件で、外部から情報を盗まれた場合と、自社の人間が間違って流出させた場合とを別のものと考える傾向があります。人間の感情としてはわからないことではありません。前者においては、企業側も被害者という面もあるので、「お客様にもご迷惑をおかけしましたが、我々も被害者なのです」というスタンスを取ってしまうことがあるのです。

 しかし、それはあくまでも企業側、内輪の論理であって、本来、情報を漏洩された顧客こそが被害者で、そこに至るまでのプロセスは関係ありません。被害者の顧客から見たら、迷惑な度合いに何ら違いは無いのです。

 従って、企業の外に向けてメッセージを発信する場合は、内輪の論理や感情は捨てて、顧客側の立場に立たなければなりません。社内での処分の軽重には、内輪の論理も作用しますが、顧客には関係が無いのです。

 同じ事象であっても、立場によって見え方が異なることに関して、私は、「岸による見え方の違い」をイメージしてほしい、と常に企業にはアドバイスしています。当たり前のように思われるでしょうが、この点を理解していない企業担当者は少なくないのです。

 有名な例としては、食中毒事件を起こした企業のトップが、詰めかける報道陣に対して「私だって寝てないんだ」と言ってしまった事例があります。そのトップは事態収拾のために寝る間もなく働いていたのかもしれません。しかし、それは食中毒の被害者には何の関係もないことですし、メディア側にもほぼ関係がありません。

 岸の「こちら側」、すなわち企業内部では「社長は寝ずに動いている。大変だな」という感情を共有しても構わないのです。しかし、それを岸の「あちら側」に示すことは、何のプラスにもなりません。

 木下氏についていえば、少なくとも問題発覚後には「免停中の運転は自分が思っているよりもはるかに重い罪である」というように認識を修正する必要があったのですが、どういうわけか、そういう考えには至っていないように見えます。

 つまり相変わらず、事故以前の自身が立っていた「岸」の視点しか持っていないのです。

展開の予測ができなかった木下氏

 次に考えるべきは、なぜ木下氏は都議会の2度にわたる辞職勧告を拒んで、議員の椅子にしがみつこうとしたのか?ということです。

 もちろん、議員という権力を失いたくない気持ちもあったのでしょうが、展開の予測ができなかったのが主因だと思います。それは辞任会見の場の言葉に表れていました。

「議員として十分に仕事をさせてもらえない理不尽な現実に悩んだ」という言葉の裏には、「ここまで事態が長引き、辞任の声が止まないとは思わなかった」という本音が透けて見えます。

 客観的に見て、辞任は不可避でしたし、表に出ないことは事件の風化ではなく、当人への逆風を強めることにしかならないのも明らかでした。そのような展開を予測できないから、現実が「理不尽」に見えるのです。ほとんどの国民、都民には「理の当然」なのですが。

 これと同じようなことも企業の危機管理で頻繁に見掛けます。

 たとえば食品の異物混入が判明した際、メーカーがリコールを迷っているうちに、スーパーやコンビニが商品を棚から自主的に撤去してしまうことは珍しくありません。消費者を守ることと、自らの信用を守るために、迅速に動くのです。

 この展開の予測を誤ると、「後手後手だ」といった批判を浴びることになるのは言うまでもありません。それでは危機管理を失敗してしまいます。

 木下氏が問題発覚後すぐに公の場に出て真摯に謝罪をし、さらに給与返納など自らに厳しい処分を口にしていれば、ここまでの国民的関心事となることはなかったでしょうし、この時期まで問題を引きずることにはならなかったでしょう(辞任が避けられたかどうかは別の問題です)。

他者への依存が透けて見える

 最後に、木下氏の辞任会見における、最大の失敗にも触れておきたいと思います。それは、「理不尽な現実に悩んだ」という不満の言葉や、切れ目なく続く記者の質問に不満げな溜め息を吐いたことではありません(もちろんそれらもすべて失敗です)。

 最大の失敗は、辞任を決断した理由として、小池都知事からの説得や再出発への支援を匂わせたことです。

 これも、企業の危機管理の場面で、時おり見掛ける失敗です。金融庁からの厳しい処分を受けて、仕方なく辞任する金融機関のトップが好例です。辞任のような重要な判断を他者に委ねているように見られると、「誰に対して謝っているのか?」「自らの意思ではないのか?」と国民からは疑われます。

 事態に自ら責任を持って対処せず、最後まで無責任で、他者に依存しているかのように映るのです。このような企業は顧客から見放されてしまいます。「自浄作用の無い企業」とみなされるのです。

 現に、木下氏の反省がどこまで本気なのかは疑わしい、という声が辞任会見後も多く聞こえてきました。これは自ら徹底的に反省したのではなく、小池知事によって引導を渡された、と言っているように受け止められる発言をしたからです。

 ここで述べた教訓は、日頃まっとうに生活をしている方々、真面目に働いている方々からすれば、当然のことのように思われることでしょう。しかしながら、実際に企業の危機管理に携わっていると、トラブルが発生し、リスクが発火した際に、意外とこうした基本的なことができていないトップ、担当者は珍しくないのです。そういう場合に、「お気持ちはわかりますが、世間はそう受け止めませんよ」「その謝罪、処分では事態はおさまりません」「会見ではご自身の判断だときちんと言って謝罪してください」等々、アドバイスをするのが私の仕事でもあります。

 危機管理を考えた場合、木下氏のケースは、いいところがまったく無い、まさに希有な反面教師といえましょう。不快感を持って眺めることに加え、他山の石として活用されることをお勧め致します。

田中優介(たなかゆうすけ)
1987(昭和62)年東京都生まれ。企業の危機管理コンサルタント。明治大学法学部卒業後、セイコーウオッチ株式会社入社。お客様相談室、広報部などに勤務後、2014年株式会社リスク・ヘッジ入社。2019年12月現在、同社代表取締役社長。岐阜女子大学特任准教授。著書に『地雷を踏むな 大人のための危機突破術』など

デイリー新潮編集部

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