危機管理のプロが2019年を総括 「炎上を呼ぶ謝罪」は教訓の宝庫

ビジネス 週刊新潮 2019年12月26日号掲載

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 世に不祥事の絶えることなし――。というワケで、今年も数多(あまた)の一流企業が謝罪会見を余儀なくされ、非難の集中砲火を浴びてきた。だが、危機管理のプロ・田中優介氏によれば、「炎上」は教訓の宝庫。延焼を食い止め、プラスに転化させるための虎の巻を伝授する。

 私は現在、企業に危機管理のコンサルティングを行う(株)リスク・ヘッジという企業の代表を務めています。

 弊社では日々、クライアントの様々なリスクに関するアドバイスを行っており、その件数が1997年の創業以来1万件を超える、と申し上げればいかに現代の企業がリスクに取り囲まれ、さらにその発火を恐れているかがご理解いただけるのではないでしょうか。

 さて、そんな私から見て2019年は「ダメな謝罪の宝庫」とも言える年でした。最近、上梓した拙著『地雷を踏むな 大人のための危機突破術』(新潮新書)では、丸ごと一章を割いて「正しい謝罪の方法」を解説したのですが、そこで「反面教師」として扱いたい事例が続いたのです。

 同書で私は、ダメな謝罪、世間に許されない謝罪を6種類に分類しました。

(1)遅い謝罪、(2)時間足らずの謝罪、(3)あいまいにボカした謝罪、(4)言い訳や反論まじりの謝罪、(5)ウソと隠蔽まじりの謝罪、(6)贖罪のともなわない謝罪です。

 こうした反面教師を分析し、失敗しないようにすることは企業トップや広報担当者はもちろん、現代人にとっての必須教養ではないか、と私は思っています。

 まずは今年見られた典型的なダメな謝罪を順番に見ていきましょう。

〈(1)遅い謝罪〉の典型は、リクナビの運営会社、リクルートキャリアの謝罪でした。就活生の内定辞退率の販売を巡り、日経新聞が問題を指摘したのは8月1日。それに対して謝罪会見が26日というのは一流企業としては遅すぎます。

〈(2)時間足らずの謝罪〉の典型は、菅原一秀前経産相です。秘書の香典問題で辞任した彼の会見はたったの4分間。これでは世間が納得するはずもなく、結局、その後も雲隠れの状態を続けています。

(1)、(2)は普通の人間関係でもよくあるミスでしょう。謝罪を受ける側は、ただでさえ頭に血が上っており、イライラしています。それなのに、なかなか顔も見せないのでは、事態は悪化するばかりです。どんなに怖くても迅速に動くことが、自分のためにもなるのです。また、顔だけ見せてとっとといなくなっても「何しに来たんだ」ということになり逆効果なのは言うまでもありません。相手が怒っている間は、ひたすら耐えるくらいの気持ちがあってもいいはずです。

 ただし、時間は長ければいいということではないのを示したのは、吉本興業の岡本昭彦社長の会見でした。記者の厳しい質問に耐え、5時間もお話しになったことは誠意のあらわれと言えなくもないのでしょうが、評判が芳しくなかったのは、〈(3)あいまいにボカした謝罪〉に該当するからです。会見の場で吉本の経営陣から出た「冗談のつもりだった」「記憶が定かではない」といったフレーズは決してプラスには働きません。

 謝罪の場でつい口にしてしまう言葉「遺憾」「誤解を招き」「お騒がせし」といった言葉も同様にお勧めできません。責任の所在をあいまいにしようとしている、と受け止められるのです。

 弊社ではクライアントに対して、こんなアドバイスをしています。

「遺憾、誤解、お騒がせし、知らなかった、邁進する、の頭の文字をつなげると“イゴオシマイ”になります。この五つの言葉を使わないように語呂合わせで覚えてください」、と。

 試しにこれらの言葉を使って作った謝罪コメントは次のようになります。

「この度は従業員の、誤解を招く行動により世間をお騒がせして申し訳ありませんでした。誠に遺憾に存じます。知らなかったとはいえ、大変申し訳なく思っており、今後信頼回復のために邁進する所存です」

 発言した本人はうまく喋ったつもりでも、真摯な謝罪だとは誰も思わないはずです。これらの言葉は、言い訳にもつながります。

「二つのトウソウ本能」

〈(4)言い訳や反論まじりの謝罪〉にあたるのは森田健作千葉県知事。大型台風の上陸直後の行動を問われましたが、「(記録が残っていないのは)私用車に乗り換えたから」「これが私の政治スタイル」などと言い訳を含んだ反論が目立ち、反感を買いました。この手の失敗もまた、誰もが日常生活でやってしまいがちです。

「すみません、タクシーが渋滞につかまって遅刻してしまいました」という類の言い訳はその典型。ビジネスの場であれば、渋滞も想定して早めに出かけるか電車で動くのが常識だろ、などと思われて終わりです。

〈(5)ウソと隠蔽まじりの謝罪〉が論外なのは、言うまでもありません。謝罪の場に限らず、そもそもウソや隠蔽は許されないのですから、ましてや不祥事のあとには絶対にやってはいけないのです。

 近年で言えば、政府関連でもこれにあたるのではないかと思われる発表や謝罪が見られます。もしかすると本当に担当者が資料を破棄したのかもしれません。が、そう信じる人がほとんどいない時点で、広報戦略としては失敗していると言わざるを得ません。

〈(6)贖罪のともなわない謝罪〉は、特に地位の高い人に見られがちです。往々にして、立場のある人は不祥事のあとでもその地位にとどまろうとします。「改革が私の責任だ」などというフレーズを口にするわけですが、ほとんどの場合、世間や社員は他の人に改革をしてほしいと思っていることでしょう。地位に恋々とするこの手の姿勢は、贖罪がともなっていないと受け止められます。

 つい最近では、関西電力の会長や社長が、金品授受にまつわる疑惑が発覚したのちに、「原因究明、再発防止をやることで経営責任を果たしたい」と引責辞任を否定していました。しかし、そんな論理が通用するはずもなく、結局は辞任に追い込まれたわけです。

 このように見ると、読者の方々は、「そんな謝罪をしたら批判されるのはわかっているだろうに」と思われることでしょう。いずれも名のある企業、立場のある人たちばかりなのに、なぜ「ダメな謝罪」は後を絶たないのでしょうか。素直に全面降伏したほうがいい場面で、どうして右に挙げたような悪あがきをしてしまうのでしょうか。

 その理由として、「二つのトウソウ本能」が挙げられます。「逃走本能」と「闘争本能」です。前者は「耳が痛い言葉を言われたくない」「体裁の悪い場面を避けたい」と思って逃げること。後者は「面目を保ちたい」「弱い立場になりたくない」と思い、少しでも押し返すリクツを考えてしまう気持ちです。

 反面教師の話はこのくらいにして、私が謝罪のお手本だと考えている事例をご紹介しましょう。いわば「伝説の謝罪会見」。それは「現代のベートーベン」こと佐村河内守(さむらごうちまもる)さんのゴーストライターをつとめていた新垣隆さんの記者会見です。

 14年2月、聴覚障害を持ちながら天才作曲家だと持ち上げられていた佐村河内さんに、新垣さんというゴーストライターがいることが発覚しました。ここで新垣さんは、自らの罪を告白した記事が掲載された雑誌の発売当日に会見を開いています。そもそも告白記事自体が自白のようなものだったので、とても早い対応です。つまりここで(1)をクリアしています。

 彼の会見は1時間半に及びました。これで(2)をクリア。さらに会見で「私は佐村河内さんの共犯者です」と自ら懺悔しました。刑事犯ではないのにあえて「共犯者」と強い言葉を用いたことは、反省の念を強く伝えるのに役立ちました。言い訳めいた言葉もなかったので、(3)(4)(5)もクリアです。

 会見後、新垣さんは勤めていた大学の非常勤講師の職を辞任しました。十分な贖罪の姿勢を示したので(6)もクリアできています。

 新垣さんは、しばらく批判されたものの、その後はCMにも出演するなど芸能界で活躍なさっています。世間に名を知られたきっかけはネガティヴな話題だったものの、その知名度を実にうまくポジティヴな方向に転化することに成功したのです。原点は、お手本のような謝罪会見だったと私は考えています。

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