「障害を乗り越えた感覚はない」 車いすバスケ「香西宏昭」が語る競技の魅力(小林信也)

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 パラ・スポーツの取材をほとんどしたことがなかった。苦い記憶があって、意識的に避けてきたからだ。

 かつて企画運営したリレーマラソンに車いすランナーから出場希望が届いた。主催者(当時の建設省)の要請もあり気安く受け入れた。が、約400チームの走者と車いすが同じ走路を周回する危険性は想像を超えていた。事故はなかったが、「こんな走りにくい大会、二度と来ない」と車いすランナーに叱責され胸をえぐられた。私は同情的な思いでパラ・アスリートを甘く見ていたのだ。偽善的な自分に激しい嫌悪を覚えた。けれど次にどうしたらいいのか、心の在り方をつかむこともできなかった。

 齢を重ね、自分も歩行に支障をきたすなど苦い人生経験を経て、障害が他人事でなくなった。3分と立っていられない腰痛と脚の痺れ。二度とスポーツはできないのか? もう一度ピッチングがしたい、フリスビーを投げたいと切に思い始めた時、東京2020パラリンピックが開かれた。

 開会式、水泳、ボッチャなど心を揺さぶられる光景にいくつも出会った。中でもパラ・スポーツに対するわだかまり、私の心に固く存在する壁を壊してくれたのが“車いすバスケ男子日本代表”の試合だった。機敏な動き、息詰まる攻防。銀メダル獲得以前に、予選リーグ初戦から快い混乱に襲われた。障害者という先入観を忘れて試合に見入った。失礼を厭わず書けば、“障害者のスポーツ”をどこか上から目線で見ていた、そして偽善的な接し方しか思いつかなかった私の遠慮やわだかまりが溶ける実感があった。障害者か健常者かでなく、夢中で応援する自分がいた。スリリングな攻防に溜息がもれた。

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