「幻魔大戦」りんたろう監督が語る 「角川アニメ」誕生の80年代と「鬼滅」の現在

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大友克洋氏を起用のワケ

――角川映画の劇場アニメ第1作は『幻魔大戦』でしたが、なぜ本作が第1弾となったのですか?

りん:その時に角川さんの元に、映画の仕事を志していた若者がいました。堤清二さんの息子なんです(堤康二氏)。その堤さんがアニメが大好きで、彼のアイディアで『幻魔大戦』がどうだろうという話になったと聞いています。

 僕が『幻魔大戦』を知ったのは石ノ森章太郎さんのマンガで、SF作家の平井和正さんを原作者として秋田書店から出ていた。平井さんの小説は角川文庫から出ていました。僕は話を聞いた時すぐに「これはマンガ版を単にアニメ化するのではないな」と思いました。それまでの長編アニメは、東映か松竹といった映画会社が制作しているんです。出版社である角川書店がアニメを作って配給するなんて考えられないことでした。角川さんが作るなら、他の映画会社が作るようなアニメを作る気は一切ないはずだと。

――そのまま監督をするかたちですか?

りん:「お前に任せる。予算はいくらいくらだから、これもお前に任せる。ただそこから先以上は出ないぞ」と言われました。アニメにするにあたってはキャラクターが重要です。そこで、その時に僕が好きだった大友克洋君にやってもらおうと考えました。当時、大友君は新人ではないけれど、まだ『AKIRA』も『童夢』も描いてなくて『ショート・ピース』やSFのイラストをいっぱい描いていた頃です。お願いしたら、「いいですよ。でも、僕のキャラクターがアニメで動きますか」と言われました。確かにアニメのキャラクターはアニメーターが動かしやすい、良くも悪くも観る側がシンクロするキャラクターですけど、大友君の絵はそこから全然、外れています。彼がそう言うのは当然です。でも優秀なアニメーターのなかに大友克洋ファンっているんですよ。そういうメンバーが集まるので、「絶対動かせます」と答えました。それで彼は毎日自転車でスタジオに来て描いてくれましたね。

――大友監督は、りん監督も参加したオムニバス的作品『迷宮物語』(87年ビデオ発売)でアニメ監督デビューしました。11月28日の角川映画祭でも、舞台挨拶に立つ予定ですね。『幻魔大戦』に話をお戻ししますと、視聴ターゲットは20代、30代。当時の劇場アニメとしは、かなり高い年齢を狙っていたと見えます。

りん:20代、30代から上です。少し遡ると、戦後の日本のアニメーションは児童ものが中心、つまり、親子・ファミリー層のものです。東映動画は長編でそういうものを作っていましたが、僕の『銀河鉄道999』は、子どもでなく中高生より上を中心に作ったのです。東映動画が一大決心をしたんですよ。当時は誰もが「アニメとは子どものもの」だと考えていましたから。そんな時代に登場したのが、『宇宙戦艦ヤマト』。『銀河鉄道999』と『宇宙戦艦ヤマト』が中高生の心を掴んだ。

『銀河鉄道999』を春樹さんが見ていて、これはいけるかもしれないと。そこからつながって『幻魔大戦』は中高生より上、平井和正の『幻魔大戦』を読んでいるSFファンも狙って。さらに当時、角川は「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチフレーズで、映画連動の文庫本がものすごくヒットしていた。本を読むのは高校生より上ですよ。だから『幻魔大戦』は子どものことなんか全く意識していない。“自分の年齢”で作ればいいいやと。

――それが作品にも反映したかたちですね。

りん:当時のアニメは、どんな話であっても場所は架空のものなんですよ。僕の作品で初めて吉祥寺を舞台にしようとか、新宿をだそう、富士山も……と考えた。大友君とは、それぞれのキャラクターが何の靴を履くか、ということまで相談した。このキャラクターは性格からいくとセーターを着ているのか、とか話しあったり、観客にリアリティを感じさせる方向でドラマを作ったのが大きかったです。

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